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「ぼのぼの」と「アメコミ」の共通点 

たけくまメモの「伊藤剛『テヅカ・イズ・デッド』を読む(3)」にインスパイヤされたわけですけど。

 伊藤は本書において『ぼのぼの』を「マンガ史の重要な切断線」ととらえる。それは「物語中心主義」から「キャラクター中心主義」へとマンガ表現が大きく転回していったことを意味している。私の考えでは、それは70年代末頃から徐々に進行していった事態なのだが、86年開始の『ぼのぼの』が、そうした事態をもっとも象徴する作品だったとすることには、異論はない。

《テクストの内部において、キャラが「物語」から遊離すること。そして、個々のテクストからも離れ、キャラが間テクスト的に環境中に遊離し、偏在することを、「キャラの自律化」ととりあえず呼ぶことにしよう。『ぼのぼの』が続いたこの一九年間、まさにその「自律化」が進行する過程であったといえる。私たちは、この「自律化」を積極的に享受し、消費していたのである。》(伊藤『テヅカ・イズ・デッド』p54)

 この認識はおそらく正しい。ここから疑われることは、「マンガがつまらなくなった言説」の正体は、まさしく私がそうであったように、「ストーリー主義者」による「キャラクター主義」への嫌悪感ではないかということである。もちろん、事態はそこまで単純なものではないわけだが、あえて図式化すればそういうことになる。

長々引用してしまいましたけど。ただちょーっとひっかかるものがあるんですよね。まあ、私は「テヅカ・イズ・デッド」を読んでないので、アレなんですけど。日本国内の、っていうかマンガの中だけで考えると「ストーリー主義」と「キャラクター主義」は等価なものに見えるかもしれなくて、「面白くない」言説はジジイの懐古趣味と言われても言い返せないわけですけど、国外の他の類似物、たとえばアメコミとかと比べたときに、これは結構ヤバイのかもな、とか思えるのですけど、どうなんですかね。

黒豚ばっかりの地域で白豚が生まれたら珍しいかもしれないし、その白豚が増加してその地域の豚界が白豚中心に変化してもそれは単なる変化であって「質低下」や「堕落」ではないとはいえるかも。でもその地域の豚界が他地域の豚界(白豚が多数派)に対して持っていた優位性というか特異性みたいなのが失われちゃうんじゃないのかなあ、それは問題なんじゃないのかなあ、とか思うですよ。タトエ話で恐縮ですけど。

なんでしょうね、「キャラクター中心主義」っていうのはマーベルとかDCみたいないわゆるアメコミだとか、もしかしたらディズニーとかもそうかもしれないんですけど、多数派なんじゃないのかな、という気がするんですよね。というよりは「ストーリー中心主義」が珍しいのかな。バンドデシネとかは「キャラクター中心主義」じゃないのだろうけど「ストーリー中心主義」とも言い難いし。

とかなんとか裏付けする資料は何にも無いのでカンで書いてるんですけどね。

えーと、「ぼのぼの」にはクズリの親子が出てるじゃないですか。いつもウ○チばっかりしているキャラなんですけど。で、クズリって英語だとwolverine なんですよね。クズリウルヴァリン。ウルヴァリンといえばマーベルの古参キャラでXmenでは一番人気のミュータントですよね。本名がローガンで、ウエポンX計画の実験台にされたせいで記憶を失っている(&マイルドに発狂している)という。超回復能力を持っていて怪我がすぐに治る。おまけに全身の骨格に超合金アダマンチウムを移植されているので絶対骨折しない&手の甲に仕込んだアダマンチウムのツメで何でも切り刻む。そんでチビでオッサンでほんとはものすごい高齢なんだけど超回復能力のおかげで年齢よりはかなり若くて、動物的カンに優れたカナダ人。まあ、ざっとそういう設定。

(あー、「テヅカ...」でなんかキャラとキャラクターを分ける議論をしているみたいなんで、ちょっと書いときますか。読んでないけど(←!)。アメコミのキャラクターはヒョウタンツギやモナーほどではないけどハローキティやウナギイヌや「ぼのぼの」の登場動物程度にはキャラであると思います。以上。)

まあ、そんでウルヴァリンをはじめとするXmenの"良い"ミュータントチームはいつも内輪もめとか敵だったヤツが味方になるけど裏切ったり(例:マグニート)とかクネクネやってるんですよ。あんまり意味もなく。しかも勝手に(?)色んな次元に飛んでったり、モジョーとかいう読者というか視聴者をキャラ化したようなメタ視点が取り込まれたりしてもうなんでもアリ。要するにカッコイイキャラが戯れているだけな世界なんですよ。

そんで無駄に洗脳とか精神がどうとか悩みがどうとかがあったり、それと付随して夢オチっぽい入れ子構造のエピソードになってたりしているのは、なんつーのかやたらたくさんいる人気キャラ同士を闘わせたり(=戯れさせたり)しなくちゃいけない関係から必然的にそうなっちゃってたりするわけですよ。よくアメコミは単純とかいいますけど、実は「ストーリー中心主義」的な読み方をするとかなり複雑で難解に見えます。

でもそれはキャラをクネクネさせる都合を優先してその結果ストーリーがグズグズになっているだけで、何か高尚(じゃなくてもイイケド)なものを表現しようとして意図的にやっているわけじゃないんですよね。たぶん。感情的なゴタゴタで捩じれてモメモメしている姿を延々描かれると、まあ、複雑っちゃー複雑な話にはなりますからね。ストーリー的には無意味だと思うけど。

で、ですね、Xmenに限らないですけど、アメコミのヒーローって適当に色々な要素を組み合わせて作られてますよね。コスチュームもそうだし能力とかも。だからなんかこうアメコミは(キャラもストーリーも)どれも同じというか、実際に(DCとマーベルの間ではさすがに無かったと思うけど)相互にキャラがゲスト出演したり、あと良さげなキャラがいるとスピンアウトして別のシリーズになったりとかが頻繁にあるわけですよ。そんでそういうのがあっても違和感は全然ない。

こういうのは「キャラクター中心主義」ですよね、どう考えても。しかも今手元にないのでウロな記憶でいいますけど「動物化するポストモダン」で東浩紀先生が提唱(?)していたような「萌え」がどーとかいう「データベース型」の生産と消費ってのと同じじゃないですかね。違うかもしれんけど。

で、80年代末から90年代初頭にかけてのことをいいますと、1989年に「アメリカン・コミック・イラストレーション・テクニック」って本が出てます。で、こんなことが書いてあります。

日本のコミックの場合も同じところから出発したのですが、日本には手塚治虫という1人の天才が現れ、コミックに映画的手法を持ち込んだため、流れが変わっていきました。日本のコミックに慣れた我々から見ると、アメコミはストーリーが単純で、絵も動きがなく、少々退屈に思えるかも知れません。しかし、1コマ1コマを1枚の絵としてとらえて見れば、その計算された構図と配色、正確な筋肉描写に気が付くはずです。

またテヅカか!(笑)

「テヅカ・イズ・デッド」では映画的手法の創始者が手塚ではないってことが明らかにされているようなんですけどね。映画的手法よりは「ストーリー中心主義」を定着させた、って捉えるべきなんでしょうね。竹熊さんの一連の記事でもそういう論調なのかな、とも思いますし。

ええーと、どうも私の感覚では80年代末にアメコミが手軽(?)に読めるような状況がちと発生してたんじゃないかと。プラザ合意でしたっけ?円高誘導のせいで相対的に安くなったからなのか。

それで、何がアレかというと、「キャラクター中心主義」のアメコミって今現在の評価はどうかわからないのですけど、本国ではやっぱりバカが読むものなんですよね?違う?「日本に来て米国人は大人が人前でどうどうとコミックを読んでいる姿を見て驚く。そして次にそのコミックの内容(のレベルの高さ)を見て更に驚く」みたいなことが言われているじゃないですか。ソースはオイラのウロな聞きかじりの記憶なんで、ダメダメなんですけど。

そして日本のマンガが「キャラクター中心主義」に移行するってことは、アメコミ化=バカが読むレベル化、なんじゃないかと。それをさして「面白くネー!」っていうのは根拠レスともいえないような。

うーんと、で、それでも、っていうのは「キャラクター中心主義」化した日本のマンガも(/こそが)高評価を受けて、諸外国でも受け入れられているじゃないか!オマエがバカじゃ!と怒られそうなんですけど、それはまあそうかな、と。

ただ何が受け入れられているのかはよく考えないとアレかなと。たとえば「感じない男」で森岡先生はこんな風に書いてます。

我々の社会には表現の自由と、嗜好の自由があるから、現実に少女が虐待されていないかぎり、これらの作品を規制することはむずかしい。その結果として、表面上は少女ポルノでもなんでもないとされている作品から、後ろめたい性の快楽を、多くの男たちがしめやかに吸い取ろうとする構図ができあがるのである。私が「モーニング娘。」のようなプロジェクトに見るのは、そのような仕組みである。私はあれを、「元気印の少女たちによる歌とダンスの成長物語」というふうには、けっして見ることはできない。(pp.120-121)

マンガの話じゃないですけどね。私は古くさい人なので「萌え」=「ロリコン」という風にしか見えないのでアレなんですけど。ちなみにロリコンは森岡先生の定義ではこうなってますね。

ロリコンとは、年若き少女に対して性的に惹かれる心理のことである。そういう心理をもった男を指すこともある。

なんというか、そういうものはケシカランから取り締まれといたいわけじゃないんですけどね。ただ、あらゆるマンガにそれが入ってくるのはちょっとカンベンかなと。そして新しく描かれるすべてのマンガがそれ目当てで消費されていくのはマジカンベンかなと。

「キャラクター中心主義」の日本のマンガがアメコミ的な「キャラクター中心主義」マンガに対して、同じキャラ中心だけど「仮面をかぶった少女ポルノ(じゃなくてもいいけど、要するに性的興奮を目的としているものってことね)」であることで商品としての競争力を持ったところで、はー「面白くネー」と思ってしまう気持ちは止められないなあ、と思うですよ。

(ん?でも「ぼのぼの」は「キャラクター中心主義」だけど全く性的ではないよなあ...カワイイだけで。やっぱり単に私がオッサンでそういうのが受け付けないだけかも。「ぼのぼの」もどこか中途半端な巻...たぶん8巻とかそんなあたり...を読んだだけで他を読もうと思わなかったしな。アニメはテレタビーズ的にボーッと見てたけど。SEがおもしろかったし。)

ま、それを言ったら従来の「ストーリー中心主義」のはずのものも単に米国では許されないような暴力描写がウケていただけという面もあるのかもしれんしなあ、とは思いますけど。

まとまらないけど、とりあえずそんな感じで。
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[ 2005/10/15 23:47 ] アニメ・コミック | TB(1) | コメント(-)
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[2005/11/12 22:40] 日々動物雑学
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