そんなnewsは犬も喰わない

犬も喰わないnewsの数々に斜め横からアレコレ

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「そんなnewsは犬も喰わない(=犬桑)」への苦情・励まし・要望・間違いの指摘等々はこちらのコメント欄にお願いします。
(オリジナル作成日 DATE: 06/01/2005 02:37:06 AM)
(投稿者メールアドレス削除済み)
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取り上げていただいてありがとうございます。
犬桑さん、すっかりダークサイドに取り込まれていますねw
旧三部作では、帝国は絶対悪的に扱われていましたが、新三部作では相対的というか、海のトリトン的というか…。
シディアス卿が私利私欲のために動いているシーンなんてありませんからねぇ。
単なる思想対立してるだけのように見えます。
[ 2005/06/30 09:16 ] [ 編集 ]
> kaimさん
こちらこそありがとうございます。「犬桑」と呼んでくださった第一号です(笑)。
支配側が絶対悪とも言えない...というのは映画マトリックス三部作でもそうでしたね。何か今の時代を反映したものなのかもしれないなあ、と思います。
私もできるだけはやくエピ3を見なくちゃいけませんね(←映画配給会社の思う壷)。
では。
[ 2005/07/01 07:22 ] [ 編集 ]
ccoeさんこんばんわ。てなわけで、やってきましたよ。
まず今回の内田先生のブログの私なりの読み方なんですけど、
起・ウハ、久しぶりのフェミニスト(フェミニストであってフェミニズムにあらず)嫌い論か、今回はどんな内容かな?
承・お?雲行きが変わってきたぞ。フェミニズムがどうとかゆうより呪術論だなコレは…
転・なーんと実は今回の論旨は「コバンザメ野郎的生き方論」だったのね。
結・でもきっちりフェミニストにいぢわる(ウチダタツル的表現)な一言はつけるわけだ。流石。
だったわけです。だから『特に内容はない(どんな場合にでも言える)』ってのはフェミニズム論から見るとそうなりますが、コバンザメ論としてみると一般論として成り立つ(ついでに言えば「呪いとしての言葉論」もある)わけですから、私は『=何もいっていない』のではありますまいよ、と考えるわけです。
『具体的な議論や検証が不可能』については内田先生(のブログ)の魅力はアフォリズムにあって、ccoeさんの言うように注釈をつけていたら面白さ半減な訳ですよ。
んな無責任な!と言われたらその通りなんですが、だって面白いって大事ですし、その上で重要なのは、内田先生自身が
 
 『レヴィナスと愛の現象学』も『他者と死者』も全体の85%はレヴィナス、ラカンの(略)引用とその解説である。
 だからといってこの本を「エマニュエル・レヴィナス/ジャック・ラカン共著」として出すわけにはゆかない。これは断じて私の著作である。
 どうしてえばってそういうことが言えるかというと、私の解釈が間違っているからである。(略)
 だって、「解釈が間違っている」ということ以外に研究者にはオリジナリティを発揮する機会がないからである。(略)
 解釈者の固有性は唯一「誰にも真似ができないような仕方で正解を逸する」ということのうちにしか棲息できないのである
と仰っている以上、「それ(誤読)も正解だ!(阿部・ドラゴン桜・寛風に)」となるわけですな。
しかし、ここまで書いて内田先生が「実はホントに何も言ってない」ことに気づかされるわけです。いくらでも誤読しなさい、って言ってるんですから。
けれども先生が何か言っていることは事実だし、ではこのブログってなんだろう?
と、ここではたと気づくのですな、(ccoeさんありがとう!)ああ、やっぱりここは道場なのだ、と。
武道の道場では先生に技を掛けられるのが、最も重要な稽古なのです。つまり我々は「読む」ことによって「技を掛けられている」状態です。
そして合気道の技のキモが重心の操作であるように、私の思考の重心も内田先生に操作されるわけです。
「俺はこんな風に書いているけど君はどう思うんだい?ほう、NRAは正しい。EBMは絶対に必要?書き方がフェアじゃない?なるほどね」
そう言われます。そしてそこから先は自分で考えなきゃいけない。先生の中に正解があるわけではないんですから。
 パラダイムとパラダイムの端境期には必ず混乱が起きるのですが,(略) 新しいところもつまみ食いしながら,古い理論の使えるところも取るというような,いい加減で,中途半端なやり方が必要なんです。
 そういう端境期の「酸欠状態」を,息を止めて「グッ」と我慢する。 それは,普通考えられているよりもずっとフィジカルな知性のあり方だと思います。
 瞬間的な判断力じゃなくて,どれくらいの時間,判断を保留したまま我慢できるのか。
こういう知性の中腰状態、そこを鍛えるために内田先生のブログがあるのだと私は思うのです。(今気が付いたんだけど)
それにしても長い…乱文失礼いたしました。(でも実は内田先生にコメント欄で完全無視されてメゲてますが>15日)
[ 2005/09/17 22:41 ] [ 編集 ]
はじめまして。内田樹さんのブログからトラックバックをたどってやってきました。(珍しく「クリックしてがっかりしないトラックバック」でした。笑)
「何についても言える」ことというのは、「何かについて言える」人にしか言えないことなのではないかと私は思います。けれども「何かについて言える」からといって、分野の壁を越え、アカデミアの垣根を越えて、幅広い読者層の人々が気軽にお持ち帰りできるような形で「何についても言える」ことを提示することができるとは限りません。学者でそういう人はむしろ少数派だと思います。そして、それができない場合の最大の理由は「何かについて言える自分」に固執することにあると思います。(自省を含めて...)
内田樹さんの素晴らしいところは、「何かについて言える」人でありながら、その「何か」についてほとんど「何にも言っていない」と思われるくらいの書き方で、「何についても言える」ことを惜しみなく分かりやすく見せてくださる、まさにその点にあると思いますが、どうでしょう?
[ 2005/09/18 00:37 ] [ 編集 ]
犬桑様
私には何も言っていないように思える内田樹の文章が、なぜ多くの支持を得るのか。
そんなこと、ご自分でお考えなさい。ブログを拝見するに、勉強はしておられるようだから、自分で考えるという努力もおろそかにしてはいかんでしょう。
自分なりの答えをまた掲載されることを期待しております。
[ 2005/09/18 09:56 ] [ 編集 ]
犬桑様
内田樹のいう「フェミニズム」について。あなたは前回の「内田樹センセはもう終わった」では、内田の論じ方ではとりあえず「?主義」と名の付くものにはフェミニズムに限らず何にでも当てはまるのではないかと書いておられる。しかし、今回の「内田式論法」では、内田の言うことはちっとも当てはまっていないという。どちらなんでしょう。
実情とは異なると自分には思えるのに、多くの人がそのことを支持する。これは単に大衆がアホだからでしょうか。何が賛同の声を呼ぶ原因となっているのか。この点についてもう少し考えてみてはいかがでしょうか。
[ 2005/09/23 14:25 ] [ 編集 ]
またもお目汚し。
内田先生がイワズモガナなのはそれこそ戦略的なのです。ご本人が「常識主義者」のエクリチュールを選んで書いているのですから(てなことが著書の中に書いてあるんだよなー。昨日探したけど見つからなかった)。
内田先生のアクロバシーな論が読みたければ「街場のアメリカ論」にきっとげっぷするぐらい載ってますよ。
あと「言葉の呪力」は、「呪い」なので、適切な人が適切な方法で行わないと本人が怪我するだけです。ガ島って人は知りませんが。
只、身もふたもなく言うと、今回問題にしているテクストは「まあ面白い(夏休み中はやっぱのんびりしちゃうんだろうな)」程度でしかないんで(内田先生とフェミニストとの戦いについて知っていれば、より面白いんですが)、「それダケ読んで駄目だしされてもナー」と言うのが本音なのですよ。
まあ「寝ながら読める構造主義」を読んでください、としか…(それで駄目ならスマヌ)
[ 2005/09/23 18:32 ] [ 編集 ]
突っ込みありがとうございます。
じゃなくて、すみません。本当にごめんなさい。
ものすごく失礼な間違いしでかしてしまいました。
平身低頭です。
[ 2005/09/30 12:58 ] [ 編集 ]
>> カザリヤさん
いえいえ、全く気にしないでください。犬桑でも犬藁でも犬栞でも遠目にみれば似たようなものです。他に紛らわしい呼び名の人がいたわけでもありませんし。(「犬桑」と「太藁」が対話していたりすると犬藁と呼ばれると誰だかわからなくなって問題ですが。亀井勝一郎と小林秀雄に言及している場で亀井秀雄と言ってしまうような感じといえば良いのか)
私はてっきりアルチュセール風のイヤミなのかと思ってましたけど違ったんですね...。
[ 2005/10/01 07:07 ] [ 編集 ]
ccoe様
前回までこのブログの名前で「犬桑様」と呼んでおりましたが、ハンドルネームが「ccoe」さんであるということでこちらにいたします。
内田樹のテーマについてのご検討、まことに結構だと思います。それで、(3)にて私のコメントに答えてくださるということでしたが、私は貴君の「内田樹センセはもう終わった」以降の展開に満足しているので、特にリアクションは必要ありません。
私が気になったのは、「内田樹センセはもう終わった」において、貴君が「本当にわかりません。教えてください」という書き方をしていた点です。その際私は、この人は聞けば答えが返ってくると思っているのかな、正解などどこにもないのに…という疑問を持ったわけです。貴君のご職業は知りませんが、どこか学生さんのような甘えを感じたので、先のようなコメントを出した次第です。
その後、貴君なりにいろいろ思考しているようだから、私は満足しております。思考を重ねることで、質問の内容が固まってきたら、内田氏のブログへコメントを入れてみてはどうでしょうか。それでは。
[ 2005/10/01 14:19 ] [ 編集 ]
こんにちは。
説明すればするほど言いたいことが言えていないことに気づくばかりです。
1つ説明すると、2つ3つ「それを具体的に説明してください」と言われてしまうので、まったく前に進みません。後退でもなくて、ぐるぐる回されて方向感覚を失う感じです。
もちろん、「具体的に」を許してしまう私の説明が稚拙で穴だらけ、犬桑さんからみると説明にもなっとらんということなのでしょうけれども、ちょっと待ってください、と思うのです。
私たちは、少なくとも私は「論戦」をしているつもりはないのです。「一本取ってやったぜ。レベル低いなこいつ」と相手の隙をついてやろうとは考えていません。
最初の問いかけを思い出してもらえませんか。
『「こういう風に読むと凄さがわかるナリ!」ってのを教えてください』と「内田センセファン」に聞かれていたから答えたのです。こう読むと面白いよ、と。ファンはそれを「凄さ」と思っています、と。
それを聞いておいて、そんなの全然凄くない、アリキタリだ、理解できない、現代思想なめとんのかと逆襲されても…それはちょっと困る。
何が困るって、犬桑さんが『「楽しみ」を巡って議論をするのは避けるべきじゃないかなあ』というのが困る。ファンは楽しいからファンであって、「ここが楽しいよ」とは言えるけど、理路整然と楽しさを説明できる訳でも証明できる訳でもないから。
少なくとも、私には出来ない。力量もないし。
だから、結論をいいますと・・・、
「今日はこのへんで勘弁しといたるわ(@吉本新喜劇)」。
(ああ、また穴だらけなんだろうなー。これ。)
[ 2005/10/01 14:21 ] [ 編集 ]
>> カザリヤさん
私も論戦している気はありません。私的にはこんな風に感じています。以下対話風に(カはカザリヤさんです)。
=========
私:内田センセがまたテケトーなこと抜かしとるわ。タイコモチて誰やねん。でも人気はあるねんなー。なんでやろ?なんでやーっ!誰かオセーテ!
カ:論理展開が凄いねん。センセの思考に合わせると凄いことが思いつくねん。
私:えーっ!フツーのことしか言ってへんやん。なっとくでけんわ。
カ:フツーやったんか!がーん。
私:あー、でもよー考えたらセンセが拾ってくるネタはハイカラかもしれへんな。そーいうあたりで夢見させてくれんのかもなー。そういうことやろ?カザリヤ兄さん?
カ:アホ!何言うてんねん!お前は全体を見てないんや。よう見とき!ちゃんとセンセはタイコモチを名指ししとるで!オレにはわかる。
私:えっ!せやったんか!イケズやなあ。イヂワルせんと誰のことなんかオセーテ!
==============
・・・という感じです。一本とったったわ!とかそういう風には私も考えてません。なのでブログ記事でも質問を一つに絞ったのですけど...。(あと関西地方の方は不快に思われるかもしれません。すみません。それと細かいことですが私のパートは山田花子で想像してください)
[ 2005/10/01 16:07 ] [ 編集 ]
ccoeさん、こんにちは。私のコメントも、kansai845さんと同様、改めて取り上げていただく必要はありません。後始末(1)で既に自分のコメントにも反応していただいたつもりでしたので。
せっかくなので、どのように「反応していただいたつもり」なのか(と、それに対する私からのレス)を書いておきますね。
> で、現代思想用語の使用が異化作用を及ぼさない相手には内田マジックは通じないので「ナニイッテンノ?」になってしまうのでしょうな。
> で、カラッポであることがある種の読者にとって価値であることを知ってたのでしょう。
言われてみればたしかに私<「異化作用を及ぼしうる相手」あるいは「カラッポであることが価値である読者」>である気がします。「Kyucoはそういう相手/読者である」という視点から、自分のコメント↑をあらためて読み返してみても大した矛盾はなさそうですし。
内田さんの文章から適宜「お持ち帰り」をして一人遊びを楽しもうと思っている私は、件のエントリに関して言うと、 「フェミニズムにおけるタイコモチというのは具体的には誰なのか」という問題以前に、そこで「フェミニストが批判されている」という事実にさえ無関心だった、ように思います。(無関心といっても、なんというか、「私はよく知らないけど内田さんは知っているらしい誰かへの批判」くらいの認識で満足して放置、みたいな感じです。)
このように言葉にしてしまうと、我ながらビックリなテケトー読みですけど、それが私の一人遊びにはなんの害も及ぼさないこともまた事実です。
というわけなので、私の「ここが面白い!」は、
> きっかけにはなってるんでしょうけど、直接の関係はないみたいな感じ
> 師を信じよ!みたいな感じ
と言ってもいいと思います。特に異論はありません。(後者については、「信じよ!」というより「ある部分については疑う気がない」という感じの方が正しいのですが、これはccoeさんの視点からすれば大差ないことでしょう。)
が、最後に一つ。カザリアさんのコメントと重複しますが、今回ccoeさんの最初の問いかけは「ファンの皆さん、何が面白いんですか?」でしたよね。でも、ccoeさんが本当に知りたかったのは、それに対する答えそのものではなく、<「ファンが面白がっていること」って実は内田さんの文章と「直接」には関係がないのではないか>という密かな仮説の正否、だったんですね。
「教えてください!マジです!」と言われて、素直に「私が面白いと思っていること」を答えた側としては、その答えに対して、内田さんの文章と「直接の関係」があるかそうでないかの区別をつけられ「あー、やっぱりねー」なんて言われるスジアイが一瞬のみこめないんですけど、つまりは
A「一体、カレのどこが好きなわけ?私から見たらどうしようもない男だけど。」
B「そうねぇ...私、カレと一緒にいると落ち着くのよ。」
A「あー、<恋は盲目>ってホントなんだね。」
B「・・・」
みたいな、Aからすれば違和感ないけどBからすれば虚しさ漂う展開だったわけですね。笑
なので、なんだ、最初の質問ぜんぜん「マジ」じゃないじゃん!とは思いましたけど、まぁ、恋愛の真っ只中に<恋は盲目>を指摘されるのもまた一興、ということで楽しませていただきました。ありがとうございました。
[ 2005/10/02 09:43 ] [ 編集 ]
>> Kyucoさん
ええと「だー誤解だ!」が生じているようなので一言釈明しておきます。
「本当に知りたかったのは(略)密かな仮説の正否、だったんですね。」という御指摘なのですが、これは私の言葉が足りなかったことによる誤解です。
私は間違いなく「ファンの皆さん、何が面白いんですか?」の答えそのものが知りたかったのです。あの仮説の検証が主たる目的ではありません。
「密かな仮説」は一つだけではなく複数用意してありました。問いをたてる以上当然その事象については色々自分なりに答えがだせないかまず考えてみるというのが当然の作法かと思います。私も当然そのようにしました。仮説はその考察の結果生じたものです。それなりに長く内田樹先生のブログはwatchしていましたので、数も複数あります。
ですが、仮説をいくつかたてても内省だけでは決定的にコレだ!というものには至りませんでした。ですので、直接ファンの方に呼びかけて御意見を伺った次第です。
私が思いもつかないもので、「ああ!コレだったのか!」と私にも納得できる御意見を伺えることにまず第一に期待をよせていました。ですが、(こういう言い方がそもそも失礼かもしれませんけど)「なるほど!」と不明に気づかせていただけるような、読みや解釈の可能性が広がるような御意見は拝聴できなかった、と私には感じられました。
その上で次善の策として戴いた御意見から勘案すると、用意した仮説の内、アレが結果的には当てはまるのかなあ、と感じてあのように書いた次第です。
伺った意見を(モトにして考察する場合にそれを)どう扱うか、という点で無礼な点・非礼な点があったことはお詫び致します。その点についての配慮は足りなかったと反省しております。
それでは。
[ 2005/10/02 11:22 ] [ 編集 ]
ccoeさん
無礼・非礼を責めようと思って書いたのではないのですが、そのように感じられたのだったら、ごめんなさい。
私個人的には、上述の通り、ccoeさんの見解をとても面白く拝読し「自分はたしかに当てはまるかも」と思ったのですが、一方で、「そういう読者」が「そういう読者」であることを自覚しているケースは稀ではないのかな、とも思いました。ccoeさんが他にどういう仮説を立てておられたのか分かりませんけど、おそらく、どれも「ファン自身が自覚している可能性の低いもの」だったのではないかと想像します。
> 「ああ!コレだったのか!」と私にも納得できる御意見
出てきた答えに「納得でき」たりできなかったりする以上、「ファンの答えそのものが知りたかった」ようには見えない。ccoeさんもそう思いませんか?「ある種の答え」を知りたかったのだろう、と考えるのが自然でしょう。
で、私は、これまでのover40さんとのやりとりを拝読していて、ccoeさんが知りたがっている「ある種の答え」というのは、「ファン自身が自覚していない」ようなものなのではないかな、と感じたんです。そのことをccoeさんご自身が自覚していなかったとしても。(なんかややこしいですが。笑)
そういう意味で「本当に知りたかったのは(略)密かな仮説の正否、だったんですね。」と書きました。
私が「言われてみればそうかも」と思ったように、ccoeさんも「言われてみれば」と思われるのではないかと思ったんですけど...やはり「誤解」でしょうか。(でも、これが「誤解」なら、ccoeさんの名見解も大変な「誤解」ですよ。だって、みなさん、そんなことひとこともおっしゃってませんもの。「ccoeさんから見ればそういうふうに解釈できる」ことをおっしゃっただけで。)
「ファン自身は自覚していない人気の理由」を知りたい場合にも、ファン自身に口を開かせる必要はありますし、その場合のやりとりは多かれ少なかれ「Aからすれば違和感ないけどBからすれば虚しさ漂う展開」になります。そういうわけで、冒頭の繰り返しになりますが、私個人的には、そのことを責めるつもりは全然ありません。決して厭味ではなく、本当に楽しませてもらいましたから。
ちなみに、ほかにどういう仮説を考えておられたのですか?興味があるので、よかったら聞かせてください。
[ 2005/10/02 13:58 ] [ 編集 ]
>> Kyucoさん
ええと、しつこいですけど「だー誤解だ!」。
私は「ファン自身は自覚していない人気の理由」をファンに語ってもらおうと考えていたわけではありません。ファンが自覚している内容を聞きたかっただけです。そして私はファンが(私には想定出来ていないけれど、聞けば納得できるような)それを語る事ができる、と考えていましたし、期待もしていました。
だからこそ「いやいや、探してるのはそれじゃないです、違うってば、ほんとは奥になんかまだ持ってんじゃないっすか?そっちも見せてくださいよ、ねえねえ」と無作法な客みたいに振る舞ってしまったわけです。決して「一本とった!ウヒョ!」とやりたかったわけではありません。
とはいえ「いやいやアンタのツモリがどうだろうと傍目からはそうは見えねーよ!気づけ!」と言われるかもしれません。でもそれはやっぱり誤解です。
この前のコメントで私はKyucoさんのコメントに合わせて「ファンの皆さん、何が面白いんですか?」という部分をそのまま引用して使いましたけど、実際にはそのように尋ねたわけではありません(あとの記事で不用意に"知的に"という含みで「面白くない」を使ってしまった箇所もありましたけど)。正確には「『こういう風に読むと凄さがわかるナリ!』ってのを教えてください!」です。あと「ファンはこれがサイコーデス!というのですよね。どうしてですか?」というものです。「これ」は内田式論法を二項目にまとめたヤツですね。
私自身には解釈装置が欠如(又は不全)しているので、ファンの方々はどんなものを使っているのか教えて欲しい、と述べているわけです。私が得たかった「ある種の答え」は有効な解釈装置です。これはファンが自覚できなかったり、語ることが不可能だったりするものでは(必ずしも)ないはずです。
「面白さ」と違って「凄さ」(や「サイコー」さ)の解釈装置をある程度客観的に他者に対して示すことは比較的容易だと思います。私が問いかけたものが(漠然とした)「面白さ」であったなら、どんな答えを戴いても「面白くない」という自己の主観を述べて突っぱねることが可能ですけど、「凄さ」ならばそういうことは出来ません。
ですから、私は予め答えの出るはずの無い問い(=返答者が自覚できない解答を想定した質問)を投げかけておいて、ついウッカリ親切に答えてくれた人々に「お前等ヤッパわかってねープギャー!」とやったわけではないのです。客観的に有効性が補償され得る「凄さの解釈装置」(=返答者に自覚されることが必ずしも不可能ではない)が示されなかったために、その事実を受けて、しかたなく「あー、一人遊びのネタモトに使ってたってことですかねー」と(現時点では)納得することにしただけです。
それと、他の仮説ですけど...確かに「内田先生は凄くない」としか思えない前提をもとに「人気がある」という事実と整合性を持たせるように解釈するわけですから、どれも変化球的なものにはなります。でもファン=狂信者ではありませんから「無自覚」であることを想定しない仮説も可能ですよね。具体的なものは示しませんけど。そして諄いようですけど、欲していたのは有効な解釈装置の提示だ、ということはしつこく主張しておきます。
それでは。・・・あ、あとKyucoさんとのこのやり取りはメインブログのネタとして使いたいと思うのですけど、ダメでしょうか?
[ 2005/10/02 17:48 ] [ 編集 ]
ccoeさん
> 欲していたのは有効な解釈装置の提示だ
分かりました。それなら最初からccoeさんの欲しておられることが分かっていなくてトンチンカンな答えをいたしました。ごめんなさい。
> あ、あとKyucoさんとのこのやり取りはメインブログのネタとして使いたいと思うのですけど、ダメでしょうか?
構いませんよ。^^
---
ところで、ccoeさんの知りたかったことが「私にとっての面白さ」ではなかったということが分かったので、こちらから一つおききしたいんですが。
内田さんの「哀愁の・・・」を国語の試験の時みたいな読み方で読むと、最後「誰もいなかったということになりはしまいかと懸念」している、つまり「今やみんなタイコモチなんじゃないの?と思っている」ということで終わっていて、エントリ全体としては
私は今やフェミニストはみんなタイコモチじゃないかと思ってるので(=仮説的見解)、タイコモチに効くはずの「フェミニズムは終わった」を言ってみました。私の仮説が正しければ、この言葉によってフェミニズムは本当に終わってしまうでしょう(=戦略/証明方法)。(...実際にはまだ終わっていないんですけど、Y売新聞ったら勘違いして「ポスト・フェミニズム」なんて言うもんだから私の方がビックリしましたよ。)
という話ではないでしょうか。エントリ中段は、その仮説的見解を導いた経緯の説明と、その証明方法として<「終わった」と「言ってみる」>ことの有効性の説明です。
この文脈でいうと、ccoeさんが「トートロジーにみえるほど曖昧だ」と指摘しておられるのは、「これから証明しようとしている仮説的見解の説明(その仮説を導いた経緯)」であって、極端な話、それが「直感」であってもテケトーであっても構わない部分ですよね。問題といえば、証明前の説得力が落ちるくらいで。
よくご存知の方からすれば「おいおい、もっとキチンと書けば、もっと<確からしい>仮説が示せるだろ」というのはあるのでしょうが、よく知らない人(私とか)からすれば、この曖昧さのおかげで↑の全体の文脈を見失わずに読めます。
そういう意味で、全体としては「何も言っていない」「不思議すぎる」エントリ、でもないように思うんですけど、ccoeさんがその「これから証明する仮説の説明が曖昧なこと」をあそこまで問題視した理由はなんなのでしょうか。
[ 2005/10/02 23:26 ] [ 編集 ]
追伸: メインブログでどのように扱っていただいても構いませんが、私からのこの件に関するコメントは基本的には以上で終わりにさせてもらいます。質問を放っておいておしまいというのも不躾でもうしわけありませんが、実は目下とても忙しく自分のブログも更新できないのに、こちらのお話が面白かったのでつい夢中になってしまいました。笑
今後も拝見させていただきます。どうぞよろしく。^^
[ 2005/10/02 23:44 ] [ 編集 ]
>> Kyucoさん
とりあえず脊髄反射でリアクションしておきますね。
うーんと、「誰もいなかったということになりはしまいかと懸念」=「今やみんなタイコモチなんじゃないの?と思っている」という認識を「バカジャネーノ?」と聞いた瞬間に呆れるか、それとも「そうなのか」「そうかもしれない」と納得するかで「哀愁の...」の受け止め方はかなり違うものになるとは思います。
言ってることがメチャクチャで支離滅裂な上野千鶴子先生たちが主導してきたような、行政に働きかけて族議員のようにハコモノ利益誘導をやってきた手法はさすがに通用しなくなってきた雰囲気はある(ジェンダーフリーバッシングとか)ので、その意味ではそういう面に限れば「終わり」っぽいといえなくもないかもしれません。
でも学術研究という側面から見れば、竹村和子先生や竹村先生が訳者を務めているジュディス・バトラーのような人たちに注目が集まって、ようやくフェミニズムがまともな学問になってきたんじゃないか、と私には思えています(とかチンピラのくせに偉そうに書いてますけど、別に私は専門家じゃないのでよくは知らないのですけどね)。
なので内田先生の「哀愁の...」は、有り得ない仮説的見解に向けてテケトーであやふやな根拠を説明しているだけに見えます。それに「フェミニズムは終わった」というのは、かなり昔に発言したように読めますよね?だから現時点でみて「敗色濃厚な選挙事務所」ではない(←見える人には見えるのだ、とかインチキなこと書いてますけどね)以上、せめて説明部分に明確な根拠や具体的事例がないと、話にならんのではないでしょうか。
どうなんでしょうね、結局(←虚数空間に投げかけた疑問)。
[ 2005/10/03 07:15 ] [ 編集 ]
だいたいよく考えてみたら「ポスト・フェミニズム」って「寝ながら学べる構造主義」のpp.16-17で内田先生が書いている「ポスト構造主義」解釈を参照すれば「終わったという意味とは解釈しない」ってことにならないとおかしいんだよな。
「ポスト構造主義」とは構造主義が自明になった時代(気ぜわしい人たちが終焉を語り始めた時代、というふうにも書いてる)と書いてたわけだから、テーマが「ポスト・フェミニズム」と聞いて「終わってしまったんですか」という反応をしているのがそもそも一貫性がないわけで。
なんだかなー。
(↑以上、自分用メモ)
[ 2005/10/03 07:39 ] [ 編集 ]
すいません、もう一度だけお邪魔します。
> 「バカジャネーノ?」と聞いた瞬間に呆れるか、それとも「そうなのか」「そうかもしれない」と納得するかで「哀愁の...」の受け止め方はかなり違うものになる
それはそうでしょうけど、それを言い出したら、「バカジャネーノ?」と瞬間に呆れはするもののその後かならず持ち直すのでファン、という方にでも登場していただいてその「持ち直し方」を説明していただかない限り「ccoeさんにも納得できる有効な解釈装置」なんて出てこないんじゃないでしょうか。で、そんなファン存在するんですかね、というのが、先に指摘した「ファンの口からは出てこない答えを求めていたんですね」ということにつながるわけなんですが...まぁ、ここで「存在する/しない」を論じても仕方ないので、ここは、そういうファンの登場を待つしかないですね。
[ 2005/10/04 00:16 ] [ 編集 ]
>> Kyucoさん
リアクションがあると思ってなかったので驚きました(笑?)。すみません、お手間とらせて。
ええと、また脊髄反射的に反応しておきます。「だー誤解だ!」。
「哀愁の...」を読んで私が「バカジャネーノ?」と呆れたとしても、私が納得する「有効な解釈装置」が出てくる余地はいくらでもあると思います。
たとえば内田先生が述べている内容を補完できるような別のテクストが存在して、それを参照すると私が全く知らなかった事実が明らかになって、「バカジャネーノ?」と呆れた私自身が不明を恥じて自分を「バカジャネーノ?というかバカだ」と感じるようになる可能性は十分ありますよね。
あともっと根本的に読み方が違うという可能性だってあると思います。ロジェ・カイヨワとアンドレ・ブルトンの空豆論争のような感じで、私の読みは「マジ」と「ネタ」だとあまりに「マジ」寄りすぎなのかもしれませんし。
「ファンはどういうコンテクストに置いて凄さを感じているのか?」とマジメに質問している私にとって具体的なそれは「わからない」「想像もつかない」内容なのでハッキリした例示はもちろんできませんけど。
あとこれは完全に余談(?)なんですけど、内田先生の御専門って本当は何なんですかね。「寝ながら...」には「フランス現代思想」「映画論」「武道論」と書いてあるのですけど。またチンピラのくせにナマイキ言いますが(これこそチンピラ特権!)「著書が出ている=専門家」とするのではなくブログの内容で判断すると正直全部素人レベルっぽくないですか?著書ではちゃんとしてるのかなあ...。少なくとも「寝ながら...」はダメだったけど。不思議だ...。←ヒルベルト空間に投げかけた疑問
[ 2005/10/04 07:03 ] [ 編集 ]
すみません、お詫びだけはするべきだと思ってまた出てきました。
> たとえば内田先生が述べている内容を補完できるような別のテクストが存在して、・・・
あぁ、たしかにそういう可能性はありますね。
自分の想像力が足りなくて決めつけてました。ごめんなさい。
最後に、これはホントに完全に余談なんですけど、
> チンピラのくせにナマイキ言いますが
> ← 〇〇空間に投げかけた疑問
これらがとても気に入りました。
そのうち気がついたら真似してそうです。
[ 2005/10/04 08:26 ] [ 編集 ]
ccoe様
身近にある本から具体例を出しておきましょう。森岡正博『感じない男』(ちくま新書、2005年)に、森岡氏が日本女性学会で男のセクシュアリティについて考察した際に、一部の学会員から「なんでいまさら、男にセックスのことを説教されないといけないのか」という批判が起きたことが書かれています(173頁)。
また、堀茂樹氏は、上野千鶴子・小倉千加子『ザ・フェミニズム』(筑摩書房、2002年=ちくま文庫、2005年)から、両人が夫婦別姓選択制を「あほくさ」と腐す場面を紹介しています(堀茂樹「フランスのフェミニズムと文化的伝統?普遍性と差異をめぐって」『大航海』44号、2002年、30頁)。
特にフェミニズムを専門にしていない人から見れば、やはり前者の日本女性学会の会員や、後者の上野氏、小倉氏は立派な「フェミニスト」に映るのだと思います。それで、こういう人たちから「男権主義者」と言われたくないがために、上のような発言への異議がためらわれた場面というのがあるのではないでしょうか。
そこで、内田樹氏は「『フェミニズムは終わった』と言うことが、こういう人たちをフェミニズムから遠ざけることができるのではないか」と、考えたのだと思います。また内田ファンはそのアイデアを支持しているのでしょう。おそらく内田氏の支持するフェミニズムの基本姿勢とは「平等性という観点から解消すべきと考えられている性差別は解消されるべく努めなければならない」というものでしょう。だから上記のような「フェミニスト」は彼には、フェミニズムの威を借る狐のような存在に映るのだと思います。
具体例を出さない点は、おそらく内田氏が特にそれが必要とされる場ではないし、ゆるやかな共感が得られればよいと考えているからだろうと思います。おそらく1,000円前後で売られている本でもそのようなスタンスなのでしょう。だからその本を学術的にとらえて実証性が足りないと感じるなら、それはそれで本当のところはどうなっているのかを調べるきっかけにすればよいと思います。ネタによっては、内田氏がもっともらしく語っている「物語」であることもあるのです。だから今回の一連の議論のように、たたき台にすればよいのではないでしょうか。ccoeさんがこのネタに割いた時間というのはたいへんなものだったと思います。でも、私は無駄じゃないと思いますし、その熱意に敬意を表します。それでは。
[ 2005/10/04 09:08 ] [ 編集 ]
また来ました。
「凄さが分かる読み方」が分かった気がしたので。
「戦略」の読み方が間違っていたんじゃないでしょうか。間違っていたというと言いすぎかもしれませんが、十分じゃなかったのではないかと。(私だけかもしれませんが)
これまで私は「...終わった」と言うことが「タイコモチを駆逐する」ための「戦略」なんだ、と思って読んでいたんです。でもそうじゃないんですよ。いや、そうなんですけど、それだけではまだ「戦略」は未完なんです。
考えてみたら、あんなにもお忙しい内田さんが「駆除」それ自体を目標に掲げるというのもヘンな話です。批判のための批判なんて時間のムダです。内田さんのことは個人的には存じ上げませんが、ブログ等を拝読する限り、そういう非生産的なことにエネルギーを注ぐ方ではないようにお見受けします。本当にタイコモチ100%ならそんなの放っておけばいいことです。
内田さんが本当に目指しておられるのは、その先に「あるべきフェミニズム」が生き残ることでしょう。つまり、内田さんは「(内田さんが)善良なフェミニスト(であると考えている人)」たちの「共謀者」として働いているわけです。それが具体的に誰なのかは私にはわかりませんけど、その人たち自身は自分が内田さんの批判対象ではないことを分かっているはずです。その上で「どうせみんなタイコモチなんじゃないの?」と「言ってみる」のは「駆除」を促す「戦略」の一部というか、追い討ちみたいなものです。「みんなそうでしょ」というのはこれまたいかにも「タイコモチ」系に効きそうな言葉です。「みんな」でないと効き目がないので、誰はタイコモチで誰はタイコモチでない、なんてことはいちいち言わない方が言いし、言わなくてもいいんですよ、「共謀者」たちは自分で分かっているんですから。
ということで、あの文章自体
「「フェミニズムは終わった」をタイコモチ駆逐戦略として言ってみました。ま、あれは所詮みんなタイコモチなので、フェミニズムには誰もいなくなるでしょうな」というタイコモチ駆除戦略として「言ってみた」だけ
なのでは?
...と夕飯のミートソースをつくりながら思いつきました。これは私さすがに「凄い!」と思いましたが...どうでしょう?
[ 2005/10/06 01:53 ] [ 編集 ]
ちょっと訂正。最後の段落ですが(ミートソースを除く。)
『ということで、あの文章自体、
「フェミニズムは終わった」をタイコモチ駆除戦略として言ってみました。ま、あれは今やみんなタイコモチなので、フェミニズムには誰もいなくなるでしょうな」として徹底的にタイコモチを駆除し「あるべきフェミニズム」を生き残らせるための戦略として「言ってみただけ」
なのでは?』
です。最終的には<「あるべきフェミニズム」のための「戦略」>であるはずだ、ということが言いたかったので。
[ 2005/10/06 02:53 ] [ 編集 ]

朝日新聞記者、 団藤保晴氏への「ネット右翼および朝日新聞の体質に関する意見と、公開質問状
魁!清谷防衛経済研究所 ブログ分室 http://kiyotani.at.webry.info/" rel="nofollow">http://kiyotani.at.webry.info/

[ 2005/10/06 13:11 ] [ 編集 ]
>> kansai845さん
御紹介いただいた参考文献には近日中になんとか目を通してみたいと考えています。ありがとうごさいました。
>> 清谷さん
ダンドー先生とはまた懐かしい名前を聞きました。差延...という言葉が一瞬脳裏を過りましたが、あまり関係ないでしょうね。スルーの名手ダンドー"ミサイル"先生がどう反応なさるのか今後を見守っていきたいと思います。
>> Kyucoさん
あー、<恋は盲も...じゃなくて、おっしゃることには納得できます。そのような意図で内田樹先生が「言ってみただけ」(の入れ子構造)的にあのエントリを書いた...という解釈は、他のエントリでの発言などとも整合性はありそうですね。
たとえば「兄上からは『タツル、ブログで愚痴を書くなよ』とご叱正頂いているけれど、兄ちゃん、これは愚痴ではなくて、関係各方面への『アッピール』なんです。関係各位はそれぞれの政治的文脈に即して私の意のあるところをご判読いただきたいと思う。」とhttp://blog.tatsuru.com/archives/001263.phpにありますけど、これなんかも書くことによって何かに働きかけるという意図について述べたものだと解釈できますし。" rel="nofollow">http://blog.tatsuru.com/archives/001263.phpにありますけど、これなんかも書くことによって何かに働きかけるという意図について述べたものだと解釈できますし。
それにもともと「哀愁の...」でも「遂行的言明」と「事実認知的言明」の違いみたいな話は書いていましたね。今改めて読むと。
ただ、そうだとすると一般のファン(今回でいうとフェミニズムに興味の無い層)は何を読み取っていたのかなあ?という点には疑問が残ります。内田先生から自分たち以外の誰かに向けて発信されたメッセージを部外者として「?」と思いながら眺めているってことでしょうか?
この点については「内田先生は何か意味のある、大切なことを発信しているはず...」という信頼のもとで文章を見ると何かが見えてくる...って感じなのかなあ、と不信心モノの私は想像するしかないのですけど。
やっぱり「内田樹先生を信じられるかどうか」っていうところが重要なのかなあ、と思います。Kyucoさんの読みもこの点から遡って発見したものですよね。
そこで、私は今ちょっとずつレヴィナスを読み始めました(邦訳版ですけど)。まずは薄い「時間と他者」あたりから。ある程度自分なりにレヴィナスにアタリをつけた上で内田先生のレヴィナス研究を読めば判断がつくのじゃないかなあ...(あまりに遠大な計画のような気もしますが)とか考えています。
なんだかそこまでやるとファンというかストーカーみたいですけどね(笑?)。
[ 2005/10/06 21:01 ] [ 編集 ]
脊髄反射的に。笑
>一般のファン(今回でいうとフェミニズムに興味の無い層)・・・
そうですね、それは私も疑問です。ちなみに私自身、上にも書いたようにフェミニズムばかりかフェミニズム批判にも無関心だったんですが、私の場合は、ccoeさんのおっしゃる「ブラックボックス」をブラックボックスのまま持ち帰って自分で「有り得る仮説」をあてはめてみたり、自分の分野のタイコモチを思い浮かべてその分野の「本来あるべき姿」について考えてみたり、といった一人遊びをしていました。
> やっぱり「内田樹先生を信じられるかどうか」っていうところが重要なのかなあ、と思います。Kyucoさんの読みもこの点から遡って発見したものですよね。
はい、そうですね。
レヴィナスを読み始めたとのこと、そういうストーカーは個人的には非常に共感します。なにを隠そう私も実はジュディス・バトラー注文してみました。「バカジャネーノ?」を追体験しようと思いまして。笑 
とはいえ、このようにして世界を広げるきっかけを与えてくれたのは、やっぱり(ccoeさん経由で)内田さんだ、ってことでまた一層ファンになっちゃう、私はそういう種類の内田ファンなんですけどね。
それでは、また。
[ 2005/10/06 22:13 ] [ 編集 ]
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[ 2005/10/15 01:05 ] [ 編集 ]
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