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犬も喰わないnewsの数々に斜め横からアレコレ

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「ようこそ、男の世界へ」のアレコレ 

【あらまし】 「ジョジョの奇妙な冒険」最新刊(SBR8巻)では登場人物リンゴォが「男の価値」について語り、「男の価値」が「光り輝く道」にとって必要であると説いている。「男の価値」が切り開く「光り輝く道」とは何か、またこれらの語が何についての隠喩なのか、等々について考察する。
【キーワード】 [ジョジョの奇妙な冒険][ネタバレ注意][グレマス][ヘミングウェイ] いきなりですが、該当シーンのコマ↓を引用します。

060520_01.jpg


まあ、ぶっちゃけ「男の価値」と「社会の価値」が一致していた時代なんてないんですけどね。ただここでリンゴォが言っている「現代」っていうのは私たちの世界とは違うパラレルワールドにおける1890年のことなので、アレです。

リンゴォと対決したジャイロ(←主人公)が「既にオレは納得した...もうあんたを仕とめる意味はない!」と言ったのに対して応えてこう語っているわけですよ。だからオマエはダメなんだ、単なる「対応者」に過ぎないのだ、レースに勝てないのもそのせいだ...ということを言っているみたい。

日本でも割と西の方の価値観に従えば、たぶんジャイロみたいな姿勢が正しいと判断されるとは思うのですよ。「もうええやろ」とか「もう気がすんだやろ」とかそういう言い方しますもんね。

で、そういう考え方(←決着をつけなくてもいいじゃん!みたいな)は、どういう世界観から出てくるのかというと(ここで一気に話は飛びますが)何もかも「差異の戯れ」(←死語?)にすぎないみたいなアレじゃないかと。

つまり何かが正しいとか正しくないとか、そういうことにはあんまり価値はないと考えているのでしょうね。正しいとかそうじゃないとかいうものも単にある時点でそう思えたりするだけで不変のものじゃない。時間がたてば変わってしまう。意味も人も価値も何もかも変化し続けているのに、そのある一点でたまたまそうなっているだけのものに固執するのは愚かである...みたいな感じかな。

まあ、たぶんそれは「正しい」ものの見方だよね。どう考えても。現実を反映した正確な認識ではないかと。

でもそれだと「光輝く道」には到達できないと言っているのだけど、これはどう考えれば良いのだろうか。

そのヒントは第5部のコレ↓じゃないかと。

060520_02.jpg


「真実」といっているのは主人公たちと敵対する組織のボスが自身の予知能力で見た彼が「勝利する」という未来のことです。それは絶対に起こるべき「真実」のはずなのに「到達できない」と告げられているのですよ。

ここだけ見てもよくわからんと思いますが、それが上で引用したコマに出ているスタンドの能力ということです。

で、その結果どうなったかというと、このボスは永遠に様々なシチュエーションで殺され続けるというループ(?)に嵌ってしまうことになります。「死ぬ」という「真実」にさえも到達できないので、ってことらしい。

「真実」に到達しない、ということは結局何も結論が出ずに「宙吊り」になるってことだと思います。ここでまた適当に飛躍するとですね、何が「正しい」のかとかそういうことが変化し続けて定まらないというのもまた「宙吊り」だってことになりますわな。

そして何が「正しい」のかが決まらないということは「正しい」という語の意味が決まらないということでもある。「意味」がどういうものであるのかについては「意味について」(グレマス)のこんな記述↓もあります。

これら(←意味のこと)は決して言い換え、語や言表の他の語や言表への多少とも不正確な翻訳以外ではありえない。したがって意味作用は、言語活動のあるレベルからもうひとつのレベルへの、ある言語活動から違った言語活動へのあの転位でしかない。意味はコード変換のこの可能性でしかないのである。少し大袈裟に言えば、人間のメタ言語的言(パルレ)は一連の虚言でしかなく、コミュニケーションは一連の誤解でしかない。書くことの方はもちろん裏切りであり、他方文芸批評はせいぜい、もはや根本的なものではない記号論的活動の、自由で隠喩的な翻訳でしかない。(p.14)


ま、グゥの音も出ないほど正確な記述ではないかと。意味行為は無限に続く言い換えにしか過ぎないわけですよ。だから「意味」そのものには永遠に到達できない。

記号による記号の言い換え、つまりコード変換しか存在していない状況で、人は最初の記号を見出すことも出来ず(←痕跡だっけ?)行き着くべき意味にも永遠に到達できない。始まりも終わりもない。過程だけがあって、それがずーっと続く。そういう状況を「差異の戯れ」って言ったんだよね。

そんで、ある種の人達にとってはこれが福音だったりもすると。つまり「真実」に到達することが決して起こりえないなら、単なる差異の戯れという過程しか存在しないなら、安心してどんな嘘でも捏造でもアリだしヤリ放題ってことじゃんか!みたいな。

宙吊りという現状で意味を強引かつ遮二無二かつ無闇に求めれば、その結果辿り着くのはいつでも捏造された嘘の真実ということになりますわな。どうしても。だからそういう状況で取るべき姿勢は適当なところで妥協しながら、真実なんて存在しないということを自覚しつつ、まあまあ納得できたところで仮の決着をつける...ってことになりそうです。

状況に対応する「対応者」の姿勢ですな。

でも、それでいいのか?それでは「光輝く道」は絶対に見つけられないぞ!ということを問うているわけですね。リンゴォは。そのためには「男の価値」が必要だと。

当然ここで出てくる疑問は「男の価値」というのがなんらかの「真実」そのものなのか?でも真実には到達しない世界で真実であるということは、絶対に嘘や捏造なんじゃねーの?というあたりでしょうか。

うーん、これについてはね(笑)。感想をいうくらいしかできませんけど、一応言っておきますか。せっかくここまで書いたし。

たぶん「男の価値」というものは「真実」への道、「光輝ける道」を示す指標になるだけで、それ自身が「真実」や確定された「意味」そのものではないということでしょう。「必要」だってリンゴォも言ってるし。「男の価値」=「光輝く道」ではないってことですね。

そして「光輝く道」もまた「道」なので「真実」そのものではない、と考えて良いのではないかと。単なる差異の戯れでしかないコード変換過程の中に、何か他と違ったもの、違ったコード変換過程があって、それはその過程そのものが何か不変の価値を持つもので...ってとこかいな、と推測してます。そういう話かな、と。

えーと、更にここで脇道にわけ入りますね。

「男の世界」と聞くと私が最初に思いつくのはヘミングウェイです。正確には「男だけの世界」という邦題ですけど。原題は Men Without Women ですが。短編集ですね。

で、文庫版ヘミングウェイ全短編1には「われらの時代」「男だけの世界」がセットで収められています。

ええと、読んでみたら何かわかるかもしれませんよ!(←エエーッ!放りっぱなしジャーマンかよ!←うるせー!呪われろ!)

たとえば Big Two-Hearted River あたりとかさ。「われらの時代」の方に入っている短編だけど(笑)。
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[ 2006/05/20 00:00 ] アニメ・コミック | TB(0) | コメント(-)
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