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インタビュー型ジャーナリズムの周辺 

【注意!】現在下書き状態といいますか、書きかけの状態で公開してます。
【あらまし】 インタビューを記事にする、というタイプの手法についてその周辺隣接事項をアレコレ考察してみる。インタビュー型ジャーナリズムの起源、その応用、会話分析・談話分析などとの関連など。
【キーワード】 [スタッズ・ターケル][会話分析][談話分析] アルファブロガーR30氏が珍しくリアクションに応えるエントリを書きました。言い訳とか楽屋裏の話とかというのがソレ。火中の栗拾いツアー企画というエントリに関して批判されたことについて「プチ反論」とかをやってます。

批判に関してはシカト...という流儀だったと記憶しているのでちょっと意外。でも考えてみればこういう深刻な話題は今まで全く扱ってなかった(避けてた?)からこそシカトが可能だっただけで、今回みたいな場合はそうもいかなかったってことでしょうか。

で、R30氏の反論エントリは私から見るとそれが書かれたこと以上に、書いてある内容が意外でした。「火に油ツアー企画」に格上げですか?みたいな。実際コメント欄のコメント数も51→80に増加してるようです。

というかですね、私はもし反論エントリが書かれても、もっと別な感じになると思ってました。

ええと、件のエントリの中ではインタビューの編集について色々述べていて、こんな感じ↓です。

普通の感覚なら、そこで取ったインタビューを滝本氏などの裏取りもせずにそのまま公開するなど、あり得ないだろう。僕も理解できない。でも、彼女はたぶん「ジャーナリズム2.0」なんだよ。僕のインタビューのテクニックも、松永氏の公式見解トークも、何もかも全部「そのまま、聞いたまま」ぶちまけてしまって、そこから何かを生み出せると信じてるらしい。まあ、そういう信心から本当に何かが生まれることもあるかもしれないから、僕は過去の自分の「1.0」の流儀を彼女に押しつけるのは、諦めた。

インタビューを編集してから公開すべき、というR30氏の主張に対してインタビュー掲載ブログ主は「そのまま、聞いたまま」載せると頑強に主張してそれを押し通したために、ああいう結果(←R30氏が主張するところの「テクニック」まで丸見えになった冗長で長大なもの)になった...ということらしい。

R30氏自身もエントリを読む限りではあの「インタビュー」を「そのまま、聞いたまま」公開されたものだと考えているようなのですけど、果たしてそうなのかいな?という疑問を私はもっています。

簡単にいうと、たとえば文字化されるとアクセント情報が欠落するので、会話の微妙なニュアンスや空気が伝わらないですよね?ってとことか。

参加者の出身地は松永英明氏が「関西生まれの関西育ち」(←京都?)、佐々木俊尚氏が「兵庫県西脇市生まれ」、R30氏が「兵庫県生まれ」のように特定地域に固まっています。松永氏とR30氏については彼らが話す音声を聞いたことがありますが、京阪式アクセントだったように思います。佐々木氏も出身地からいうとそうではないかと推察できます。

つまり公開されたアレは文字化されたものである以上、行われた「インタビュー」を「そのまま、聞いたまま」公開したことには全然ならないわけですよ。音声データ付きなら別ですけど。あるいは読み手が京阪式アクセントの人間に限定されるとか。

インタビューの編集というものにはそういうような、文字化することによってどうやっても欠落してしまう情報を別の方法で補ったりする要素というのもあるんじゃないかなあ、とか私は思います。

で、そういうあたりからの「反論」があるかなあ、と予測してたんですけどハズレました。

あとそもそもアレは「インタビュー」だったのか?ってところも疑問です。「座談会」の方が実態に近いんじゃないのかな、と。

このあたりの用語や概念の区別ってどうなってるんでしょう。たとえば「インタビュー」と「対談」はどう違うのか。「対談」は語り手双方の力関係は対等(←読者の興味の対象として対等というような感じ?)だけれども「インタビュー」ではintervieweeの発言が重要で、interviewerの発言の方は単なるキッカケくらいで(読み手にとっては)どーでもいーという感じですかね。「インタビュー」は「面談」や「面接」とも訳されますな。発話の重要性に不均衡がある感じですね、やっぱり。

あと「対談」は人数が増えると呼び名が変わりますな。

対談(2名)→鼎談(3名)→座談会(4名以上?)

共通しているのはこれらがあまり形式ばらない会話を行って記録したものだ、ってところでしょうか。逆に言えば「インタビュー」というのは形式ばったものだとも言えますかね。言えないかな?どうだろう。

扱う問題によっては「対談」系はふさわしくなくて「インタビュー」系じゃないとダメだ!ってことがありそうな気も私はしてます。不謹慎ってヤツですね。

実質「座談会」であったものを「インタビュー」だと言ってしまうと読み手はそれを「インタビュー」として評価してしまうかもしれない。また扱っている内容が「インタビュー」の対象としてはふさわしいけれども「座談会」だとマズい内容だったりすれば、話者の態度を責める読者も出てくるんじゃないのかな、と。

うーんと、ここで唐突ですが「インタビュー」を用いたジャーナリズムの起源についてちょっと話を飛ばします。

「スタッズ・ターケル」でググります...。なんかマイケル・ムーアが信奉しているとか出てきます。「はてな」のキーワードにもあるみたいですけど、あんまり参考にはならんなあ...。

ええと、引用もとのサイトがどういうところなのか今ひとつわかりませんが、引用してみます。こんな感じ↓で。

「普通の」人々が語る物語は、印刷物が発展するまえに唯一存在した歴史でした。 わたしは、テープレコーダーでその役割を満たしてみようと考えました。記憶を風化させないためです。 ひとつひとつの記憶は、とても貴重な歴史だからです。拙著 「”よい”戦争」では、偉人や一般の人で何か特別なことを成し遂げたような人 ではなくて、むしろ「普通の」人々に焦点を当てたいと思いました。それは、普通の人の様子とそして時代の ある一時期確かに生きた彼・彼女らの生活を描写するためにです。(略)正確な調査や事実にもとづくというよりもむしろ、これは人々の記憶が詰まった本です。

あああ、オラールヒストリーとかいうやつか。なんか薄ら聞いたことがあるような。

スタッズ・ターケルはそういう意味で「インタビューを用いたジャーナリズムを確立した」って言われているのか。ふーん。

まあ、記事を書くときにインタビューをするっていう方法自体はかなり古くからありそうだもんな。でもいつからなんだろう?日本限定だと雑誌なんかの「対談」「鼎談」「座談会」の起源についての(カルスタ的)研究本が出るとか出たとか聞いたような気がするけど。田舎の子なんでよくわかりませんが。

私自身はスタッズ・ターケルの著作を全く読んだ記憶がないので、アレなんですけど、民俗学とかの手法に近いんですかね。結構バイアスかかってそうな感じですけど。

あとマイケル・ムーアも確かにインタビューを使う手法ですけど、対象はいつも著名人というか所謂渦中の人って感じですからちょっと違うのかな、と。

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[ 2006/05/15 00:00 ] 文化・芸術 | TB(0) | コメント(-)
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