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そんなnewsは犬も喰わない

犬も喰わないnewsの数々に斜め横からアレコレ

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ウマシカ 

【あらまし】 ネット上には「悪意」が溢れているかのような言説を目にする機会がある。一見するとその説は妥当なようだが、実はそれは「悪意」ではなく「敵意」のようなもののことではなかろうか。「善意と悪意」「好意と敵意」は別々の軸として考えられるべきで、そうした区別をきちんとつけていくことそのものがネット上で「敵意」を避けることにも繋がることを指摘。
【キーワード】 [ウマシカ][佐々木俊尚][ホフマイヤー][記号] タイトルに書いた「ウマシカ」というのは「バカ」のことです。バカは漢字では「馬鹿」と書きます。馬と鹿の区別がつかないほどの愚か者という意味がもともとの語義イメージでしょう。

バカアホマヌケなどと単に「愚か者」という意味で一緒くたにされることも多いですが、これらにも区別があるわけです。あるわけですが、こうした区別が必要な場合とそうでもない場合、また区別するとかえって都合が悪い場合なんかもある。

で、こういう話のあと直接繋げるのもアレなのですが今「グーグル」で話題の佐々木俊尚氏がWiredで展開していたブログ最後のエントリについてここで言及してみます。「インターネットの理想と実態」というタイトルです。

だが実態としてはどうなのだろう? たとえば最近起きた経済産業省の現役部長のブログが炎上した事件や、泉あいさんのGripBlogで起きた事件などを見ていると、ネットの理想というものに対して何か暗然とした気持ちを抱いてしまう。もちろん批判する側にもなにがしかの正当性はあるというのは否定できないのだけれども、それにしてもわれわれの求めていたインターネットというのは、こういうものだったのだろうか――そんな思いに囚われてしまう。

自律分散協調系モデルがインターネットに関しても当てはまるという議論に対して実態は全然違う、というのが佐々木氏の主張のようです。

佐々木氏の考える「ネットの理想」「われわれの求めていたインターネット」というのが具体的にはどういうものなのか判然としないのでなんとも言えませんが、いわゆる「経済産業省部長ブログ炎上事件」などはそれに反するものであったということのようです。

ところで「経済産業省部長ブログ炎上事件」は「自律分散協調系モデル」という「生命体を表現する概念」でインターネットを捉えようとすることの反証となるのでしょうか。

私には「自律分散協調系モデル」そのものについての知見はありませんが、この問題について「生命記号論」的立場から何かいえるんじゃないかな、とか思ってます。

記号論の逆襲」に掲載されているホフマイヤーの「生物研究における情報概念の変容」(pp.99-122)からチョコっと引用などしてみます。

過去三世紀の間、生産上の問題はすべて、新たなエネルギーの応用によって解決されてきた。それは自然の上に人間的秩序を押しつけることを許し、かくして都市や農地といったきわめて単純なエコシステムが地上をおおいつくすという結果になる。道路、運河、そして河川さえもが、風景の中に幾何学的なパターンを刻みつける。肥料という形の数種の化学物質が、土壌の複雑な化学構成に取って代わる、等々。人類というただひとつの生物種の要求を満たすために、エネルギーの力が単純化と同質化をもたらしてきた例は、いくらでもあげることができるだろう。
 こうした方法の問題点はあきらかに、資源を有効活用するためには、自然システムがそれ自身の複雑で多用な調整メカニズムに従って動いてゆくことを前提しなければならないことにある。そしてまさにここが、情報技術の登場する場所である。これまで人間は、鈍重なシステムに適合するように自然を単純化してきた。だが情報技術によって、わたしたちはみずからの技術システムを、生きた自然の複雑性と洗練とに見合うものとすることができるようになるだろう。そしてこれが、生きた自然を致命的に傷つけることなる、引き出される資源の量を増大させる唯一の方法なのである。(pp.108-109)

上記引用部分の記述は、自然から資源を引き出す人間の手法が狩猟採集及び手作業による農耕であった時代の「生物的」方法から「非生物的」方法(自然を機械テクノロジーの操作対象とするような方法)へと変化してきたが、今その行き詰まり(公害や資源の枯渇、環境問題の深刻化)を経験して新たな手法が用いられつつあるというような文脈の中で出てきます。

産業構造というか社会構造のような話ですが、この動きと情報技術の変遷も同じような変化をしているとはいえると思います。

ホフマイヤーの論文中では言及していませんでしたが、例えば書物などの情報媒体といいますか、メディアについてもこのような図式で発達史を考えることができると思います。

口頭でその場限りの簡単な指示を出すだけの時代。そしてそれらの知を文字で記録して共有する時代。さらに(鈍重なシステムである)大量印刷技術や放送技術によって送り手から受け手へ向けて一方的に(単純化して同質化された)大量の情報を送りつける時代。

今現在はまだこの最後の時代のシッポのような感じではないかと思います。ですのでホフマイヤー説に倣えば次に来る事が期待されるのは「生きた自然の複雑性と洗練とに見合う」手法で、情報資源を有効に活用できるもののはずです。

そしてもう私がわざわざ言及するまでもないことですが、これはインターネットを利用した情報技術のことでしょう。インターネットに生命体を表現するモデルとの類似性を見ることはこの意味で当然ではないかと思いますし、それで合っていると私は思います。

そこで最初に言及した佐々木氏が不安材料の例としてあげたものについて考えてみます。いわゆる「経済産業省部長ブログ炎上事件」。

きっかけとなったエントリの内容はこんな感じ↓のものです。

2006年02月13日
電気用品安全法のPSEマーク
 テレビや冷蔵庫など電気製品を買う時は、技術についてそれほど詳しくない私でも、感電したりしないような安全な製品を買えるようにしてほしいと思います。親戚の家や旅館など、私が行く先の電気製品も、安全な物であってほしいと思います。(略)
 こんな願いをかなえようとするもののひとつに、製品安全の制度があります。今の制度では、対象となる製品には安全のために製品ごとに作られた基準に合っているというPSEマークをつけて、この製品を製造又は輸入してその基準に合っていることを確認した事業者の名前なども表示することになっています。
 この制度は、7年前に改正され5年前に施行された「電気用品安全法」という法律で決められています。施行からしばらくの間は、改正前の古い法律の表示をつけた製品も販売が認められていましたけれど、猶予期間が5年の製品については、今年度末で期限が切れます。

一応キャプ画像も貼っておきますね。

060429_01.jpg


コメント数が1000を超えていますので、とても全部は見られませんがほとんどが好意的ではない書き込みであると思われます。下手をすれば全部かもしれません。このあとこのブログは閉鎖されてしまいました。

佐々木氏はこれを「自律分散協調系モデル」的なインターネットのあり方に反するものだと言いたいようなのですが、私にはそうとは思えません。

佐々木氏は手練のジャーナリストらしく揚げ足を取られるような不用意な語の使用はしていませんので、ここはこの道(?)の第一人者であらせられる著名弁護士ブロガー小倉先生に御登場願いましょう(笑)。

自律、分散、協調 ─── 「一部の人」が他人を不幸にするためにネットが悪用、濫用されることを少しでも防ぐために、私たちは、このネットの理想に沿って何をしてきたのだろうか、そしてこれから何ができるのだろうか。悪意に晒される人々に対して「ネット社会なんてそういうものだから諦めろ」という前に、私たちは、ネットから悪意を少しでも排除していくために、ネット社会を構成する者として、それぞれのポジションにおいて何ができるか、そして何をすべきかを、真剣に問い直すべきなのではないか。そんなことをついつい考えてしまいます。

ここで引用したものには佐々木氏のエントリ中には無かった語が登場しています。「悪用」そして「悪意に晒される人々」「ネットから悪意を少しでも排除していく」云々。

そもそも自律して分散した書き手がバラバラの存在であるにもかかわらず協調しているかのように批判を書き込む...自律分散協調システムじゃんか、コレ...と私なんかは思うのですけど全然違っているかもしれない。

なのでこの点には突っ込まずに「悪意」の話に絞ってみたい。果たしてアレは「悪意」なのだろうか?あんまりピタっとはこないけど「敵意」じゃないのか?というのが私の説です。

「善意と悪意」の軸とは別の位相に「好意と敵意」(←あまりピッタリしていませんが...)の軸があって、それを混同しているんじゃないかと。

「善意」から発した言動が相手に「敵意」として認識されることはよくあります。「アルプスの少女ハイジ」で言えばロッテンマイヤーさんとハイジの関係なんかがそうですね。ハイジは夢遊病になるほど追い込まれるわけですから。

逆のケースもあります。サギ師が(騙してやろうという悪意から)カモを物色するときにカモりやすい間抜けには「好意」的に接するでしょうし、本当に「好意」すら抱くかもしれません。カモりやすくてアリガトウという「好意」ですけど。

ネット上で何か書いたりする人の動機には善意も悪意もネット外の世界と同じように存在していると考える方が自然ではないでしょうか。同じ人間の営みだし。

違う部分があるとすればネット上の方が情報に関してホフマイヤー説で言うところの「生きた自然の複雑性と洗練とに見合う手法で、情報資源を有効に活用」する傾向が強いため違う現れかたをすると考えるべきなんじゃないかな、と思います。

全く悪意がなく同様の現象が起きた(起きかけた)例を私の説の補強材料としてあげておきます。「やわらか戦線異状なし」のキュージュッシキから引用。

今回、パパのかかとなんかメじゃないくらい
カチンコチンの90式先輩が登場した「やわらか戦車3」ですが、
なんかもう公開早々、戦車界騒然です。

いわく、

戦車マニア「あれはキューマル式と読むのだよ」

軍事アナリスト「あれね、キューマル式と読むんですよ」

モデラー「あれさー、キューマル式って読むんだよ?」

ラレコの親父「おもしろ戦車だっけ?」

みたいな具合にですね、
各方面からご指摘いただきまして、
明日あたり、うちで飼ってる犬(雑種)にも
ご指摘受けるんじゃないかって勢いです。
(略)
ラレコさん、反省して、さっそく改訂版こさえました。
明日にはアップされると思います。
ちゃんと「キューマル式先輩」って言ってます。
声まで自前でやってるからこそ出来る迅速な対応でございます。

ラレコ氏のブログの性格上一斉に「キューマル式だよ!」と指摘した人々が「悪意」からやっているとは想定しにくいと思います。自律分散協調っぽい行動原理で「善意」から発生した現象ではないかと私には見えます。

それでもラレコ氏の「明日あたり、うちで飼ってる犬(雑種)にもご指摘受けるんじゃないかって勢いです」には「敵意(的表出)」への狼狽ともとれるものが感じられる気がするのですが、気のせいかもしれませんな(←エエーッ)。

ええと、話がアッチコッチにとんでいるのでそろそろまとめます。

今ネット上で特に顕著ですが新しい情報技術とそれと同調するようなパラダイムシフトがあらゆる領域で起きているようです。

このときに「新しい」ものよりやや古い情報技術とそれに属する様々なものは「敵意」に晒されることが多くなります。それらを否定し新たな閾値を超えることが「新しい」ということなのでそういう現象が起きるのは必然といって良いでしょう。

否定されるものとは「鈍重なシステム」を用いて「単純化して同質化」した情報を大量に垂れ流すような技術のことです。この技術の問題はロスが非常に大きいことだといえます。

大量生産技術は安価な製品の流通と消費を可能にしましたが、それに伴って多くの公害問題を発生させ、また大量で有害な産業廃棄物を生み出すことにもなりました。ゴミ問題も深刻化してます。「生きた自然の複雑性と洗練さ」を蹂躙してきた副作用でしょう。

そして情報技術の面でも同様の問題が発生しています。マスコミはもちろん、司法制度におけるアレコレ、行政関連のアレコレ、こうしたものはすべて前時代の「鈍重なシステム」といえます。これらは複雑な事態や対象(が内在する差異)を無理矢理「単純化して同質化」する方法で処理してきたシステムですから。

最初に出した「ウマシカ」の話にここでやっと戻れます(笑)。以前のシステムでは出来るだけ「区別」しないことが有効だったのだと思います。複雑なものを単純化するとはいわばそういうことです。だからそうしたシステムに適合した人々は「ウマシカ」な態度を取り続けます。「ウマシカ」性を批判されても不当な非難にしか見えないでしょう。彼らにしてみれば。

経産省ブログの件ではPSE問題の渦中にあるにもかかわらず「感電って怖いですよねーだからPSEマークが必要なんですよー」というようなツッコミどころ満載のエントリが当事者から上がったことが激しい「敵意」を呼び込んだのだと思えます。

具体的なツッコミの指摘についてはまとめサイトへのリンクだけ貼って手抜きしておきます(←エエーッ!←うるせーダマレ!)ので気になる方は参照してください。語られている事柄の精度からすると経産省部長さんはやはり「ウマシカ」だったのではないかと私は思います。

それでもまだ「ウマシカだからと言ってそんなに叩かなくてもいいじゃないか!もっとやさしくしてよ!前はそんな風じゃなかったのに!」という反論の余地はありそうです。まあ、それはそうでしょう。

ただですね、聞いた話なのですが滋賀県では合成洗剤を使う(そして下水に流す)ということは重罪(←!)だそうです。つまり滋賀県で合成洗剤を使うと「敵意」に晒されるわけです。琵琶湖の環境汚染に直結した問題ですから「見逃してくれてもいいじゃないか!」は通用しなさそうです。下水に何を流すかの点で彼らは非常に「ウマシカ」の反対なのでこの点で「ウマシカ」であることは許されないわけですよ。

で、滋賀県ではなくてもゴミの分別で同様のことはありますよね。ゴミの分別に関して「ウマシカ」な感覚の人がそれに対して非常にセンシティブなマンション管理組合なんかの人とゴミの出し方で揉めるとかそういう感じのが。

なんというのでしょうねー、この問題はガミラス帝国と地球との抗争みたいなもので、どっちも必死なんだから「ウマシカ」が許された時代を懐かしんでも無理なんで、さっさと適応するかそれができなきゃ消えるかしかないんじゃないですかねー、と言いたい。

060429_02


なんかそんな感じ。
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[ 2006/04/29 00:00 ] ウェブログ・ココログ関連 | TB(0) | コメント(-)
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