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レヴィストロースの写真集 

レヴィストロース「を」撮影した写真集ではなくて、レヴィストロース「が」撮影した写真集なんですけどね。そんなものが存在したことを知って驚きました。まあ、考えてみるとフィールドワークやってた人なんだから膨大な写真は撮っていたはずで、写真集があってもおかしくはないですわな。

ブラジルへの郷愁」っていうのがソレなんですけどね。ただ残念ながらAmazon.co.jpでもAmazon.comでも画像が無いのですよ。表紙だけでもあると良いのだが。どういうものかというと以下のようなものなわけです。

1930年代にレヴィ=ストロースが行ったブラジルのインディオの調査における撮影写真の集成。貴重な画像であると同時に、今日のインディオの現状との差異を鮮烈に写し出した数々の写真が、文明の意味を問いかける。

ええと、レヴィストロースはまだ御健在です(笑)。1908年生まれ。Wikipediaだとこんな感じ。「数学の群論を使った分析(実際にはアンドレ・ヴェイユが行なった)等の業績がある」って書いてあるな。群論使ってたっけ?

ちなみになんで急にこんな話をしたのかというとですね、喫茶店でコーシー飲んでるときにパラ見してた雑誌に出てたんですよ。この写真集の話が。「芸術新潮」の9月号だと思いましたが。なんか写真特集で。

そんで写真史的な話を対話形式で延々書いてあったのですけど、どうもツボな感じだったんですよ。話題にあがってくる写真家とかのセレクションが。飯沢耕一先生とかだと、まあ、なんつか、広く浅くズレた感じ(←暴言だ!)で、それも大事な仕事なんだろうけどねえ...どうも古くさくてねえ...な感じなのですけど、この特集で語っている人はイイ感じだったんですよ。

誰かと思ったら港千尋先生でしたわ。サスガですな。

まあ、それは良しとして...レヴィストロースの写真集に関しては雑誌への写真掲載許可が降りなかったそうです。なので表紙しか、というか物体としての写真集を撮影した写真(←わかりにくいな!)しか載ってなかったんですけどね。それだけでも「おっ!」と思いましたよ。良い表情してるんですよね、被写体の子どもが。

ちなみに許可が降りなかった理由は「ヴァカンス中で連絡がどうやっても取れなかったから」だそうです(笑)。フランス人のヴァカンス最強伝説!!


ええと、話は微妙に戻って...レヴィストロースは、ま、フツーに「構造主義」者なわけですが。

彼の問題意識はサルトルの実存主義という主体偏重を批判し、 西洋社会における、西洋中心主義に対する批判的意識から出発している。前者に対しては、主体ではなく、主体間の構造こそが重要だと主張し(主体が使う言語は共同体社会によって生み出された構造主義的なものなので、絶対的な主体ではありえない)、後者に対しては、どのような民族においてもその民族独自の構造を持つもので、西洋側の構造でその他の構造に対して優劣をつけることなど無意味だと主張した。

あー、確かにこんな感じ。Wikipediaには上記のように書いてあります。

私が昔(たぶん10年くらい前)にテレビで見た日本人学者との対談でもそんなことを言ってましたわ。文化人類学っつーのは、勝手に相手のことを研究して語っちゃったりするから「わかってねーくせに!」とか批判されますわな、とか言われて「はぁ?巻貝は自分の殻がどういう数式で表せるのか、とか知らねーだろーがよ、それと同じだバカ」(←記憶に基づく意訳)とか答えてましたわ。

ちなみに不謹慎なことを言うと、そのときですら「生きてたんかい!」と思ったぐらいだったんですけどね。フィールドワーク中になんかアヤシイ発見してねーか?という疑いは拭いきれない!

で、巻貝云々っていうのはいかにも構造主義者っぽくてアレなんですけど、そういう人が撮影した写真ってなんかこう、被写体を冷たくまなざしているような写真になりそうじゃないですか。港千尋先生も特集中に書いてましたけど、写真は撮影者が被写体に向ける「まなざし」(←なんか「まなざし」って20世紀末に濫用されすぎて、こうアレですな... )が記録されたものですからな。

でも違った。

『ブラジルへの郷愁』は、先住民を研究対象としてではなく同じ人間として撮っているところが感動的です。どの写真にも一期一会の抜き差しならない出会いの瞬間が写しこまれている。すばらしい作品です。それまで撮られていた民族学写真集とはまったく違う。(略)背の高いあのレヴィ=ストロースがしゃがみこんで、先住民の子どもたちを、上から見下ろすのではなく子どもと同じ低い視線で撮っている。視線は対等になり、撮影者は子どもたちを見ると同時に、子どもたちから見られてもいる。このような視線の対称性はそれまではほとんどなかった。(略)その後、ヨーロッパ列強は他者の歴史も写真に記録し始めます。実際、植民地に派遣された宗主国側の神父や人類学者たちが先住民を撮った写真は大量に残されている。でも、先住民は撮られるだけで、撮る側にまわることはまずなかった。カメラはいわばヨーロッパの覇権の歴史を撮り続けてきたのです。権力を持つ側と持たない側の絶対的不均衡というか、撮る者と撮られる者における視線の非対称性が、写真というメディアにはっきりとあらわれていた。

プロなら技術でなんとか誤摩化せるのかもしれないのですけどね。「視線の非対称性」の痕跡を消すというかなんというか。でも相手あってのものだから、なかなかそう簡単にはいかないと思う。撮影以前に構築した関係がものをいうのだろうし。

そういう意味もあって、やっぱスゲーナーとは思います。あと蛇足ですけど、上で書いた日本人学者との対談はかなり笑えましたよ。ええと、当時まだ私は幼生体でエラ呼吸してたこともあって(←!)相手をした学者が誰かとか全然わからず、当然の結果としてそれが誰だったか記憶にないのですけど、どうやら日本におけるレヴィストロース研究ではブイブイ言わしている人みたいでした。

ところがですよ、両者の話は「あなたが語っているホゲホゲという理論では...」「言ってねーよ!」「ホゲホゲというのはモケモケだと思うのですが...」「全く違う!」の連続で会話になってなかったっす(笑)。なんか最後の方ではレヴィストロースはずーっと苦笑いしてたし。

あー、あと「芸術新潮」9月号の表紙は色んな写真をモザイク状に組み合わせてつくったマドンナの顔なんですけど、これって自動作成するソフトがあるんですね。ビクーリですよ。Photomosaicsというらしい。作者はRobert Silversさん。サイトはこちら

それはともかくとして、レヴィストロースが撮った写真はネットのどっかに無いのかなあ...。「ブラジルの郷愁」でググってもミヨーの曲の話ばっかだよ...。あ、一応一枚発見。でもあんまり良くないなあ...。

あった!これが雑誌に出てた本の表紙写真です。割と大きいけど不鮮明だなあ。gifだとこんなのも。結局表紙だけしか見つからない...。


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[ 2005/11/19 04:05 ] 書籍・雑誌 | TB(0) | コメント(-)
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