民族や国籍によって人々を引き離しても、彼らを対立させている問題は何ひとつ解決しない。他者を知ろうともしないことも、もちろん有害無益だ。音楽を演奏する喜びを分かち合うときのような、協調と共存を通してならば、少しは期待がもてるかもしれない。暗雲が垂れ込め、現在の状況は絶望的に見えるが、わたし個人はあくまでも楽観的である






>学校法人須磨学園を創設した西田のぶの孫に生まれ、[1]両親も須磨学園で教鞭を取った。
正確ではありません
>1978年に大学の図書館で BASIC を知り、
この表現は間違いです
>将来性を感じた西はマイクロソフトに国際電話を入れ、たまたま電話に出たビル・ゲイツに
電話には出なかったです
出たのはマリアム・ルーボウでした
>自社をマイクロソフトの代理店とするよう要求[2]。
これもちがう
>半年後、カリフォルニア州で開かれた全米コンピュータ会議の会場で西とゲイツは面会。意気投合し、西はマイクロソフト製品の極東地域における独占販売を認められ、マイクロソフトの社員(後には副社長)として迎えられることとなった。
あまりに簡単な書き方です どこかの丸写し 間違いもあり
>1978年10月にマイクロソフトの極東代理店としてアスキーマイクロソフトが設立された。やがて日本のパソコンに BASIC が組み込まれるようになり、1979年にはマイクロソフト極東担当副社長に就任、最盛期にはマイクロソフトの利益の40%近くを極東市場で占めた[3]。
間違い多すぎです
>1981年に当時の京セラ社長稲盛和夫にハンドヘルドコンピュータの開発を持ちかけ、ゲイツと機械を共同設計。
これも違います
>1983年にアメリカでラジオシャックから TRS-80 Model 100 という名前で発売され、日本では NEC から PC-8200 として、ヨーロッパではオリベッティ M-10 として販売された[4]。
一部違っています
>同年、マイクロソフトとアスキーが共同開発した MSX を発表。しかし、同年登場したファミリーコンピュータに支持を奪われ、人気は次第に下降していった。
なぜ、ゲーム機とパソコンを比べるのでしょうか
おかしいと思いませんか
だれがどう書いたのか判りませんが、WEBなどのCUT/COPY/PASTEだけで書かれた本文は酷すぎます
Young, F. W. (Univ. of North Carolina) エッカート=ヤング分解,ヤング=ハウスホルダー変換.ViSta.
Born: April 10th, 1940
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【パリ=島崎雅夫】グルメの国フランスで、日本貿易振興機構(JETRO)パリセンター(中井毅所長)が10月1日から、「正統」な和食を出す日本料理店を推奨する制度を正式にスタートさせる。覆面審査員がフランス国内の日本料理店を採点、合格店に推奨マークを交付する。懐石やスシ、天ぷら、焼き鳥などを提供する日本料理店はパリを中心に全仏で約600店あるが、料理人が日本料理店で修業したことがないのに、日本食ブームに便乗して、中華やベトナム料理店から衣替えした日本料理店が目立ってきた。このため、JETROはフランス人への「道しるべ」を示す一方、日本食や日本食文化の認知度向上を狙い、推奨制度発足を決めた。仏料理ガイドのミシュランにならって、覆面審査員による採点方式を導入したが、格付けをするわけではない。8人の覆面審査員は今年夏から日本料理店を訪問、店舗の構えや衛生状態、スタッフの態度、メニュー、味覚などをチェックしており、50点満点で7割を得た店に推奨マークを交付する。料理店の審査は1年に1回行うが、申請があれば、随時、審査する。不合格店から問題点の問い合わせがあれば、これに応じ、日本食のレベルアップを図る。中井所長(52)は「フランスには、いいものを認め、尊ぶ土壌がある。制度が料理人にとって、いい料理を作っていこうという刺激になれば」と語る。
今回、「ジャパンエキスポ」という名前にも関わらず、韓国からのゲスト作家が多いのでは、というご指摘をたくさんの方から頂きました。フランスの主催者側としましては、あくまでもオフィシャルゲストは日本からの招待ゲストのみで、韓国からのゲストは、ジャパンエキスポの一出展者である、在仏の韓国マンガ専門出版社が、自社の作家を招待しているものとしております。当サイトでの表示に不透明な部分がありましたことも一原因であるとし、皆さまへ心よりお詫び申し上げます。ただ、韓国作家の方々を日本語でご案内したのは、できるだけイベント内容の詳細をお伝えした方が、イベント内容をよりご理解頂けるかと考えたからです。今後は、サイトでの案内方法にも気を付けたいと思います。
尚、来年に向けての会議では、日本の方々から韓国作家や韓国出版社の参加に不快感を持つ方々が多いこと、また、ジャパンエキスポの名称と合わないことなどのご意見があったことを報告し、協議の対象とさせていただきます。

ジョン・オズボーン(John Osborne)の戯曲『怒りを込めて振り返れ Look Back in Anger』(一九五六年)は一つの歴史的事件だった。「怒れる若者たち」という言葉は流行語になり、それは「自分たちを取り巻く無関心、自己満足、理想の破綻に対して、なんらかの憤りを共有する」すべての人々を指す合い言葉となった。主人公ジミー・ポーターは妻に対しても友人に対しても、彼らが心からの信念も情熱も持ち合わせていないことに腹を立てている。だが、彼自身、戦後世代の代表者であって、見回せば目に付くのは汚い世界ばかり、でも、それと闘うための大義など持ち合わせていないことに苛立っている。「われわれの世代は、立派な大義のために死ぬことはもはやできないんです。……立派で勇敢な大義など、これっぽっちも残っちゃいないんです。」一九三〇年代、四〇年代の英雄的な時代と異なり、一九五〇年代の生活感覚ときたら、混乱、無目的、空虚、悲惨、まるで「暗い森の中を、年老いた熊が自分の吐く息を追ってさまよう」ようなものである。この「喪失」感と違和感の入り混じった感情こそ、政治的参加の問題を「歴史的な中心課題」へと押し上げたのである。(pp.35-36)
政治的には意欲的なニューレフトであったが、核武装反対運動の道徳的根拠については、ニューレフト自身が受け継いだ伝統的な急進主義といささかも抵触するものではないと考えていた。一九五六年の体験は、社会主義政治のなかで道徳的良心や政治的良心を再発見することがいかに必要であるかを教えていた。(略)だが、この評価が間違いだったことは、一九六一年の党大会で労働党の多数票が通常核武装と対米同盟関係重視の防衛政策を支持する側にまわったとき判明した。ほんの短い一時期、労働組合が核武装反対運動と一方的核兵器廃絶を支持したことはあったが、平和運動は労働者のあいだで大衆的支持を獲得することには成功しなかった。(略)
客観的に見て、非武装運動のラディカルでダイナミックな力量は、伝統的左翼の中心組織が信用を失墜し弱体化した時に、核武装反対運動がその参加者のために新たな「再結集地点」を開拓したという事実のうちに潜んでいる。核武装反対運動参加者は政治権力や支配的な政治文化と対決した。たしかに、彼らが対決したのは、核兵器とは別の問題だったかもしれない。だが、核兵器はそれらの問題の象徴と見なされたのである。(pp.39-41)
●オムライス発祥の老舗洋食店「北極星」
日本の洋食を代表するメニューの一つである「オムライス」も大阪で誕生した食文化である。大阪の老舗洋食店「北極星」で、ひょんなことからケチャップライスをオムレツで巻いてお客に出してみたことがきっかけだった。大正14年のことである。

【あらまし】 ついにココログのプランをベーシックにダウングレードしてみた。
【キーワード】 [ココログ][古河財閥]
ダウングレード記念というか記録のために適当に書いてますが何か(笑)。
もともとアクセス解析のために「プラス」というプランにしていたようなもんだったのでアク解に差がないとなればこうするのは必然といえば必然の行動のわけですが。
でもなんかよく見ると色々小さなイヤガラセで差をつけてるみたいではありますな。このブログの左端列にある「関連図書」なんですけど、これの生成ってベーシックプランだと出来ないことになってるみたい。アマゾンじゃなくてnifty独自アフィリエイトならできるよ!ってことらしい。
あー、なんつか、セコいというか無駄に利用者をイラつかせるようなことしかしないよね、ホント。
あ、そうそう、そういえばニフティの社長さんってさ、古河さんっていうじゃないですか。で、例の不具合騒動のときの対応とか激しく批判されてたんですけど、全然動揺してないっていうか、良く言えば超然としてっつーか、悪く言えばまるで現実が見えてないっつーか、不思議な対応してたじゃないですか。
なんでかなー?って思ってたんすけど、アレですね、古河一族というか古河財閥って元華族なんですね。男爵かなんかの爵位を持ってたみたい。やんごとなきアレなカタってわけで。
そんでですね、古河家はなんで華族様だったのかというと、別に大名だったとか明治維新で手柄をたてたとか藤原氏の流れをくむ公卿さんだったとか浄土真宗の偉いヒトだったとかそういうのでは全然なくて単にお金持ちだったからなんですな。
あんまり知られてないのかもしれないけど元華族とかいってても単なるお金持ち(といってもスゲーお金持ちなんだけど)ってヒトも結構いたみたいです。白洲正子氏とかも元華族のお嬢様だったわけですが、実家の樺山家なんつーのもお金持ちだから華族だったってだけ(!)の家みたいですわ(ソース:『華族―近代日本貴族の虚像と実像』 )。
なんでしょーねー、そう考えると美智子様が「民間人(=非華族)」だからといってイビられたっつーのもなんだかなーと思いますわ。改訂前の皇室典範では華族としか結婚できないことになってたので元華族だった方々とか元華族で皇族になられた方々がイビったみたいなんですけど、日清製粉ぐらいの規模んとこの御令嬢なら正田家が授爵して華族になっちゃってから結婚ってこともできたクサイとオイラは思うんだけど、どうよ?
ま、そんな他所の家のことはどーでもいーのですけど、古河さんとこに関してはちょっと考えた方が良いよーなこともあるようです。っつーのは、古河財閥って足尾銅山鉱毒事件を起こした張本人なんですよ。Wikipediaにも出てますけど、もともとなんか得体の知れない出自だった創業者のカタ(古河市兵衛さん)がなにやら複雑な成り上がり方をして、最終的に近世までの技術水準では掘り尽くされて何も出ないとみなされていた足尾銅山を買い取って近代的手法で大鉱脈を掘り当ててバカスカ銅を生産して大儲けしたらしいんざんすよ。
その結果が足尾銅山鉱毒事件なわけですね。あの事件って結局どうなったのかというと、鉱毒にやられた下流域の住民は町村単位で結局別の場所に移住させられちゃって、そのうえ銅を掘り尽くして廃鉱になったのでなんとなく解決してしまったっつーものらしいんですわ。
そういえばココログで不具合が出まくったときもなんかそんな感じの対応だったですよね。気に入らないヤツは出てけばいーじゃんみたいな。あと不具合がひどくて利用者がいなくなったら自然に解決じゃんみたいな。
ま、今のところはちゃんと動いてはいるみたいだけど。
なんつーのでしょーねー、石井細菌部隊の生き残りが作ったとかいうミドリ十字はやっぱり石井細菌部隊みたいだったし、電通とかもやっぱり前身だった機関みたいな振る舞いしてるし、なんだかなーと思った。変わらないもんなんだなあ、っていうか。
【あらまし】 『憲法九条を世界遺産に』を読んで思ったことをちょっとだけアレコレ。『靖国問題』とかとも合わせて考察。
【キーワード】 [憲法九条][靖国問題][中沢新一][高橋哲哉]
中沢新一先生&太田光氏の『憲法九条を世界遺産に』を読んでみた。良いと勧めている書評をみたのと、自分で冒頭を立ち読みしてみたら宮沢賢治の話から始まっていたので、もしかしてホントにオモロイのかもと思ったので読んでみたわけですよ。
で、結果はうーん、ビミョー。
基本的に太田光氏の芸は落し所を考えないで思いついたことを口走って暴走する、ってところにあると思うのですよ。前に何かの番組でイキナリ脈略もなく唐突に「ボナペティって何語だ?」と言い出して、そのまま誰も受けられず本人も処理できないままウヤムヤになってたりしたのを見たことがあるのですが、そういう芸風でプロとして安定してやっていけるというのはたぶん才能なんでしょうな。
そんで、その芸は確かにこの本の中でも生きていて、オウム問題や女性天皇(たぶん女系天皇のことが言いたかったのだと思う)ネタとかをいきなり中沢先生に振ってオタオタさせてたように読めたし。アレは太田氏にしか出来ない芸だとは思う。
ただ暴走はあくまで暴走というか、単なるその場の思いつきをそのまま口にしている感じなので正直言ってることはハチャメチャとしか言いようがないわけで。たとえばこんな発言↓があったりします。
太田 僕は、軍隊を持とうと言っている側のほうが、覚悟が足りないと思うんです。それを強く感じたのは、イラクの人質事件です。最初に三人が人質になったとき、自己責任だという話が出てきた。彼らは、幸いにして助かったけれど、その後一人で行った香田君には、さらに自己責任論が膨れ上がった。あの危険なところに自分探しの旅に行くなんて、あまりに軽率だろうと。僕はあの論調を見ていて、なんだこの国はと腹が立ちました。
僕だって、若いときは無鉄砲だったし、バカだった。今だって、たいして変わりません。この国は、バカで無鉄砲な、考えの足りない若者は守らないのか、死んでもいいのか、と思いました。
実際に香田君が殺されたときも、自己責任だったと、国も言うし、国民も言った。自分の国は自分で守りましょうと言っている人たちが、自分たちの国民を殺されて、文句一つ言わないなんて、何が国防なのかと思います。そんな人たちが軍隊を持っても、戦争なんてできないと僕は思うんですよ。(pp.145-146)
逆じゃないんすか?と思う。何が逆なのかというと「バカで無鉄砲な、考えの足りない若者」が殺されても平然としているような国というか国民だと「軍隊を持っても、戦争なんてできない」ってところです。
国民を「良い」国民と「ダメな」国民に分けて、前者を顕彰しつつ後者を貶めることがなされ続けたときに始めて戦争を起こせるような「良い」国民ばかりの国になって、そんでもって戦争にその「良い」国民を動員できるようになるんじゃないですかね。バカでも無鉄砲でも誰でも庇護されるべき国民である!なんていう国なら戦争を起こせませんよ。起こしても負けるだろうし。
なんつーのでしょーね、より「良い」国民になりたかったら国の為に戦争で死になさい!という要請に応えようという機運が生まれて始めて国民を総動員した戦争が可能になるわけです。戦前なんかは死んでもラッパをはなさなかった木口小平さんとか、猛吹雪の中やはり死んでも郵便物を守った吉良平治郎さんとかの話が「良い」国民像として教育の現場で語られたりしていたわけですよ。一方「またも負けたか8連隊それでは勲章9連隊」とかいって大阪人で構成されている第八連隊(と京都人の第九連隊)なんかは軽蔑の対象だったわけですね。そういえば大阪とかってバカ(というかアホ)や無鉄砲に甘い土地柄だと思うですがどうでしょう。
実は「靖国問題」っていうのも根っこはこのあたりにあるという指摘が高橋哲哉先生の『靖国問題』でも語られてたと思います。国家による「追悼」施設というのは実は(靖国神社に限らず)「顕彰」施設でしかないというような指摘がなされてました。オイラもその見立てには賛成でやんす。「追悼」はやはり故人との個人的な関係の中でなされるもんじゃないかと。そこに国家やら当局が絡んできた場合、それは「追悼」というよりも「顕彰」となってしまうのでしょう。
そんで(戦)死者のあるものを「英霊」として「追悼」に見せかけつつ「顕彰」する行為は必然的に「良い」死者と「ダメな」死者を分ける行為であり、その死者は生者である「国民」の行き着く先でもあるわけですよ。閻魔大王とか天国の門と同じような機能を果たしているわけなんでしょうな。死者を顕彰することによって生者の行動をコントロールするというか。国民総動員に適したように調整していくわけですよ。
そういう意味で「靖国問題」というのはA級戦犯合祀がどーのこーの、という問題ではなくて「国家が死者の顕彰を通じて(国家の維持にとって)良き国民を育成する動機付けをすることの是非」問題だったりするってことですね。詳しい議論みたいなところは実際に『靖国問題』を読んでもらった方が良いのでここではトレースしませんが。
で、ちょっとワキへズレますが「靖国問題」をこういう風に捉えると、小泉首相が靖国参拝にこだわったことが「国益なのかどうか」っつー問題についても一応の答えのようなものは導きだせるのではないかと。あと国が主体となって「追悼」することは全て「顕彰」になってしまうのだとすると代替施設だのなんだのをつくっても問題が更にややこしく(そして非宗教化することで更にヤバく)なりますわな。今のようになんとなく怪しくスッキリしない感じで宗教法人を参拝していた方が「顕彰」作用の暴走をコントロールできているように思えます。
っつーわけで「靖国問題」の短期的な解決というのはなんとなくウヤムヤにして政治問題化しないというのが最良だと思うんですけどね。首相によって参拝する人としない人がいてもいずれも問題にしない。特定諸外国も文句をいうくらいは御自由にどうぞ、だけど外交カードとやらにはしないでね、というのが現実的かと。
ここを突っつくと上で書いたみたいに国民国家としての日本国のあり方そのものを改めて問うことになってしまって、そんでもって現段階で「国民国家としての日本国は是か否か?」という二択に「否」と答える国民は極少数だろうし、そうなると「是!」の大合唱→ナショナリズム暴走という二段コンボは必然なわけで、特定周辺諸外国も日本国民もともにウンザリする結果になると思うのですよね。
あー、で、米国や英国なんかが靖国のことを突っつかないのはこのあたりの原理がわかっているからじゃないのかな、とオイラは思ってます。アーリントン墓地なんかの機能もコレなわけですからな。戦争に国民を動員するための装置であり、平時においても「良い」国民を生産する装置でもあるわけですよ。自分のトコにもあるのでよくわかっていると。特定周辺諸外国あたりは自分のトコにはこういうのが無いので突っつくヤバさがわかってないんじゃないかな、と。
ほんで、『憲法九条を...』に話を戻しますね。終わりの部分で中沢先生はこんな風↓に話をまとめてます。
憲法九条を含む日本国憲法は、たしかに尋常でないつくりをしている。憲法は国家の構成原理を明確なことばで表現したものであり、国家というものを(幻想でできた)生命体にたとえてみれば、とうぜんそれは生命体としての同一性を保つために、免疫機構をそなえていなければならない。自分と他者を見分けて、自分の内部に外からの異質な力や存在が侵入してこようとすると、国家はすぐさまある種の免疫機構を発動させて、これを自分の外に押し出そうとする。その際にはしばしば武力が行使される。またほかの生命体と空間や資源をめぐって、あらそいをおこすこともあり、その場合にはより大規模な武力行使である戦争が発生することもある。いずれにしても、国家と戦争はきってもきれない関係で結ばれているのである。
ところが、日本国憲法は第九条において、いかなるかたちであれ、国家間の紛争解決の手段としての戦争を放棄する、と言うのである。さきほどの免疫機構の比喩で言えば、日本という国家は、その機構の最深部分で、自らの免疫機構を解除しようと思う、と語っているのと同じである。このような思想をもつ憲法は、すくなくとも現代国家のなかで日本のものだけである。常識的に考えるかぎり、このような国家思想は尋常ではない。ほかの国家はこのような免疫解除原理にもとづいていないわけだから、とうぜん現実政治の現場では多くの矛盾が発生することになる。そしてこれまで日本は、そうした矛盾が発生するたびごとに、トリッキーなやり方で、困難な事態をなんとか切り抜けてきた。(p.167)
国家を免疫機能を持つ生命体にたとえて話をしてます。国民顕彰システムというのもこの免疫システムの一環とはいえそうですな。「ダメな」国民は排除の対象になるわけですよ。「自分と他者を見分けて」というときの「他者」に「ダメな」国民を振り分ける。「非国民」って言ったりしますよね。「非国民」というのは外国籍の人間に向かっていうコトバではないので、字義通りの意味じゃなくて「ダメな」国民を指しますわな。外国人も他者だし非国民も他者。「良い」国民=国民であり、国民だけが国家の構成要素であり「自分」なわけです。それ以外は排撃する免疫システム。
で、戦争の放棄というのは中沢先生が書いているように排撃システムとしての免疫機構に欠陥があるってことなわけですよ。免疫機構の一部が予め潜在的に機能不全に陥っていると。
だからこれを日本国に課した側の思惑としてはナショナリズムの暴走を防ぐための仕掛けのつもりだったんじゃねーのかなーとか思うわけですね。排外的な気質を制限するというか。排外的な機運が暴走して過剰に免疫機能が働いても最後の部分で武力行使ができないとなると結局無化してしまうというか。
コミュニケーションを断絶させて武力行使に出るという手段を封じていることで、どこまでも対話を行なわなければならない、対話に対して開かれてなければならないというか。
ただ、このあたりに関してもどーかなーと引っかかる部分なんかもあります。
『憲法第九条を...』の冒頭に話題として出て来て憲法九条を考える上で最重要であるようなことを言っていたのに全然語られなかった宮沢賢治ネタのあたりにも絡む話なのですが。
太田 実は僕も今回の対談で一番お聞きしたかったのが、宮沢賢治のことなんです。あれほど動物や自然を愛し、命の大切さを語っていた賢治が、なぜ田中智学や石原莞爾のような日蓮主義者たちの思想に傾倒していったのか、そこがわからない。僕は賢治の作品を信頼するけれど、戦争は否定したい。そこが相容れない。おそらく賢治は満州事変なども肯定するわけです。ここで単に賢治が間違っていたのだと言ってしまえれば簡単なんですが、彼ほどの感性を持った人が間違っていたわけがないとも思える。少なくとも彼の書いているものを読むかぎり、彼の感性を信じたいと思う。彼の感性を信じるならば、むしろ田中智学の思想を「間違いだった」ですましてきた戦後の判断を疑うべきではないか。賢治を信じる限り、「田中智学は悪だった」ではすまなくなる。(p.20)
えーと、宮沢賢治が國柱會に傾倒していたっていうことと、彼の作品とがうまく結びつかないという話をしているのですけど、オイラなんかには逆にこういう感想の方がよくわからんのですよ。
とはいえ田中智學が起こした國柱會の教義そのものについては全然知らないんですけどね(←ダメじゃん!)。ただその熱心な信者だったらしい石原莞爾の『最終戦争論』は読んだ事があります。その内容には呆れてワロタのですけど。いや、あまり「ワロタ」とかストレートな感想を書くと怖い方々に睨まれそうでアレなのですが。オイラの予想に反して内容の大部分は日蓮上人の予言ではこーだからあーだから...というモノだったんですよ。
で、それはそれとして(?)こんなこと↓が書いてあります。
悠久の昔から東方道義の道統を伝持遊ばされた天皇が、間もなく東亜連盟の盟主、次いで世界の天皇と仰がれることは、われわれの固い信仰であります。今日、特に日本人に注意して頂きたいのは、日本の国力が増進するにつれ、国民は特に謙譲の徳を守り、最大の犠牲を甘受して、東亜諸民族が心から天皇の御位置を信仰するに至ることを妨げぬよう心掛けねばならぬことであります。天皇が東亜諸民族から盟主と仰がれる日こそ、即ち東亜連盟が真に完成した日であります。しかし八紘一宇の御精神を拝すれば、天皇が東亜連盟の盟主、世界の天皇と仰がれるに至っても日本国は盟主ではありません。(pp.44-45 )
これでも彼は「右翼」なんですかね。日本国民は東亜連盟のために「最大の犠牲を甘受」すべきと言ってます。そして天皇陛下が「世界の天皇」になっても「日本国は盟主ではありません」だそうだ。
日本国民は「東亜連盟」ひいては「世界」のために犠牲になれ!と言ってますね。東亜とか世界の融合、融和というのでしょうか、そういうものを成し遂げるための犠牲になれと。いや、そうなることに決まってる、というような説ですわ。日蓮上人の予言とかで。
他者との境を消して一体となるために犠牲となれ...って主張はフツーに宮沢賢治の作品を読むと読み取れる主張というか基調底音に見えるんですけどね。オイラなんかには。だから実はちょっと苦手。
あー、で、いいかげんまた長々書きすぎたのでここらあたりで終わりにしときますが(←!)太田光氏の主張というか言ってることの基調底音も宮沢賢治と似ているところもあるし、石原莞爾とも似ているように見えます。
と、いうことは「憲法九条」が喚起する何かもこれと同じ基調底音を持っているんじゃないかな、と思うわけですよ。ちょっと詭弁っぽいけど。
所謂日本の侵略戦争を推進した原理っていうのは実は排外主義よりもこっちの融和主義みたいなもんの影響が強かったんじゃねーの?っていうか。免疫システムを止めて他文化、他国家を吸収合体融和していこうとした姿勢の方がヤバかったんじゃないの?っていうか。
ま、もちろんそこで武力行使が禁止されてれば、なんというのかな、下品な喩ですけど「強姦殺人」みたいなのは遂行不可能で「和姦」というか話し合いなど暴力を伴わない合意の上でのアレしか不可能になるので安全といえば安全とはいえるかもしれんですけど。
ただ、やっぱり本当に危険で害悪な思想っていうのは実は上で指摘した基調底音みたいなものの方なんじゃないのかなーという気持ちが私には強くあります。免疫機能というか排除機能を全停止して何もかも解け合うような世界を夢見る人々っていうのは生理的に受け付けないというか、正直キモイしコワイ。
ま、そんな感じ。
■べき分布、正規分布メモ 09:59
直感的にはロングテール現象の数学(統計学)的な説明は実は冗談なのではないかとqうぇrちゅいおp
つまり、逆に変換していくと、ロングテールの法則を支配しているのは、正規分布だったということになる!!素晴らしい。
『80対20の法則を覆す ロングテールの法則』という本があります。ロングテールはWeb2.0をめぐるキーワードの1つですが、このキーワードを説明するのに、上の本のタイトルのように「80対20の法則を覆す」といった形で説明されることがよくあります。
Web2.0を語るキーワードの1つに「ロングテール」がありますが、この言葉を巡っては多くの誤解があります。その誤解の1つはロングテールが従来の80:20の法則を覆すものだということです。
これに関しては、Long Tailの提唱者Chris Andersonが最初に示したAmazonが売上の57%を上位10万以下の商品からあげているという衝撃的な報告から端を発しています。しかしその後、Chris Anderson自身がブログでこの数値を36%から20%後半へと下方修正しています(参考:A methodology for estimating Amazon's Long Tail sales)。 57%から20%後半となると数字的には大きな違いがあり、「さんざん煽っておいてなんだ」と批難の声も上がっているようですが、問題の本質としてはその割合が何対何になっているかということではありません。もともとパレートの法則と対比して語られることもあるロングテールですが、実際にはパレートの法則の1バリエーションでしかありません。ここにそもそもの誤解が存在するのです。
ベキ分布は、他にも地震のエネルギーや音楽CDの売上、企業の所得の分布などに見られると言われています。また、一見、ランダムな分布になると思われるWebのネットワークにおける被リンク数の分布や自然言語の単語の利用状況がベキ分布を示すことも、『新ネットワーク思考―世界のしくみを読み解く』でスケールフリー・ネットワークについて紹介しているアルバート・ラズロ・バラバシらの研究によってもわかっています。

硬化テクタイトこうか・てくたいと(マンガ/用語)
松本零士的世界におけるもっともポピュラーな特殊金属。ちなみにテクタイトというのは隕石に含まれる実在の物質なんだそうだ




単行本は少年キャプテンコミックス全6巻(徳間書店刊、絶版)、ワイド版の少年キャプテンコミックススペシャル全4巻(徳間書店刊、絶版)、復刻版の小学館サンデーGXコミックス全6巻(小学館刊)がある。小学館サンデーGXコミックス版の第6集には初回限定の「特別版」があり、作者原案によるオリジナルエピソードを含むドラマCDが同梱されている。


Author:犬桑主監
正式略称は「犬桑news」です。
気軽に呼んでください。
記号論の逆襲 (★★★★)